シーニックバイウェイは、英語で「景色」を意味するシーン(SCENE)と、「わき道」を意味するバイウェイ(BYWAY)の組み合わせ。直訳すると「景色のいいわき道」ですが、それは一面に過ぎません。シーニックバイウェイ北海道は、「自分たちの地域を、自らの意識と行動で、より魅力的にすること」でその柱は、「美しい景観づくり」、「活力ある地域づくり」、「魅力ある観光・空間づくり」 の3つです。自分たちが住んでいる地域を、「もっと良くしたい」「もっと知ってもらいたい」「来た人に好きになって欲しい」・・・そんな想いがシーニックバイウェイ北海道の原点です。最新情報は、シーニック・マップよりご覧下さい。現在、このサイトでは5本のブログで東オホーツクのフレッシュな情報をお伝えしています。各ブログは、東オホーツクシーニックバイウェイで管理し、エリアを代表するシーニックマン達により運営されています。各シーニックマンのブログは、マップページより地図と連動してご覧いただけます。また、次のリンクより各ブログのホームへジャンプすることが出来ます。シーニックマン1号、2号、3号(オホーツク百の話)、4号、シーニック事務局。


網走は北海道を代表する観光地。網走刑務所の所在地というイメージが定着している。たしかに1890年(明治23)に、網走囚人宿泊所が設置され、翌24年に中央道路(網走ー旭川間)が開かれるとともに、内陸への交通、屯田兵の入植などが増加し、それにともない発展した町である。刑務所の歴史を「博物館網走監獄」(大曲)が、展示し、網走観光最大の入館者数を記録しているが、未開の地を受刑者が切り拓いた歴史は、否応なく学ばなくてはならない。
美幌町は網走支庁の中央部、北見市と網走市の中間あたりに位置し、南には釧路へと続く美幌峠があり、多くの道路が町内で交差することから交通の要所としても栄えてきた。
大空町は2006年(平成18年)3月31日、女満別町と東藻琴村が合併してできた新しい町である。この二つの街はもともとは網走町に属していたが、女満別は大正10年、東藻琴は昭和22年にそれぞれ分村独立した。その分村した町同士の合併ということになる。
小清水町は一口に言って、農業の町である。総人口約6,000人のうち約3分の1が農業に従事している。ほぼ長方形の町は、国有林におおわれた南部の山岳地帯から北に向かってゆっくりと傾斜しオホーツク海に達する。この波状傾斜地の地味が良いと言われ、広大な畑作地帯を形成している。
清里町は世界遺産に指定された知床半島の付け根に位置し、日本百名山のひとつである斜里岳や摩周湖などに囲まれ、町内を清流・斜里川が流れる自然豊かな人口約五千人の街である。
斜里町は、人口14,000人の小さな町である。シャリと言う名前もアイヌ語の「シャリsari 葦原」の意味から来ている。現在広がっている広大な斜里平野も大昔は海だったという。江戸時代から斜里は注目されていた地域であることが様々な文献に残されている。その注目された理由は、日本の近代化に欠かせない資源に寄るところが大きかった。