2010年08月30日

二つの顔を持つ不思議な道(小清水峠)

<道路脇に立つ標識も、上りと下りで名前の異なるものが立てられている>

小清水町の市街地から、標高千メートルの藻琴山の登山口、展望台からの眺めが素晴らしいハイランド小清水725、藻琴山自然休養林の中にあり高原の自然のキャンプが楽しめるハイランド小清水展望台キャンプ場などがある藻琴山と小清水峠へと続く約23キロの道道587号線(跡佐登小清水線)は、上りと下りで愛称が違うユニークな道である。

2003年、小清水町観光協会は「この道路を町内にある『じゃがいも街道』のように親しみのある道に」と愛称を公募。全国から寄せられた約百通の愛称の中から選考の結果、選ばれたのは二種類の名前だった。

上りが「ハイランド街道」、下りは「こもれび街道」と名付けられ、一本の道で二種類の愛称を持つことになったのは、藻琴山へと向かう上りと小清水市街に向かう下りの景観が異なる印象を持つことを考慮した結果だ。

実際に車で走ってみると、標高差700メートル近くを駆け上がる上りは高原(ハイランド)に向かう道という印象が強く、下りでは原生林の緑の間から差し込む日差しや木々が道路に作る木陰がドライブ中の目に柔らかい陰影を投げかける。

「ハイランド街道」と「こもれび街道」は、春の新緑、夏の高原の風景、秋の紅葉と季節ごとの景観(冬季は閉鎖される)が美しく、上りと下りで異なった表情が楽しめる不思議な道である。


2010年08月23日

ユリの球根にかけた17年

<ユリの花が満開のリリーパーク>

<広大な敷地にユリの花が並ぶ>

国道334号線通称美斜線を小清水町市街から少し美幌方向に行った左手に「ゆりの郷こしみずリリーパーク」がある。起伏のある敷地には白、赤、黄色などのおびただしい数のユリが咲き誇っているのが国道からも見ることができる。このユリ栽培、農家の人たちが集まって事業として展開し始めた起業家のひとつだった。

小清水町の町花はエゾスカシユリである。浜小清水原生花園に代表されるように、もともとこの地方にはユリが自生していたことから話が始まる。

そこに着目したのが本州のユリ栽培だった。平成元年に山中重治さんの畑に委託栽培の契約をしたのがきっかけで、契約農家が少しずつ増えていった。

最初はユリの球根を育てるのが目的だった。だから、花はつぼみの時期にすべて摘み取っていた。ところがある年、つぼみを取らなかったことから新しい展開が生まれる。摘花を免れたユリがその年の夏には当然ながら、畑一面に咲いたのである。その風景を見た栽培農家の人たちは、このユリを観光資源として生かせないか、と考えた。

1997年(平成9)には現在地のすぐ近くの畑3ヘクタールに試験的にまとめて栽培してみると、新聞にその風景の美しさがすぐに紹介された。翌日からユリ畑を見に来る人たちが増え続け、今度は見物人のための駐車場も急いで整備しなくてはならなくなった。ここで栽培農家4軒と商工業者2軒とで「シナジーこしみず」という会社を設立、臼井博さんが代表になった。

そして町との協議で現在地の町有地を借り受け、翌平成10年には本格的にリリーパークとして開園することを決めた。農業者が観光事業に進出したのである。

リリーパークの敷地面積は13haでなんと東京ドーム約3個分の広さがある。そこで栽培されているユリは110種類700万輪といわれている。カサブランカを中心に、ほとんどがオランダからの輸入種で園内のショップではそれらの球根の他、切り花としても販売されている。起伏のあるリリーパーク全体を見て歩くには30分~40分かかるが、高齢者などのためにカートも用意されている。

最初のユリ栽培を始めてから17年、今では年間約8万人の入場者を迎えるに至った事業だが苦労と工夫の連続だった。開園の期間をより長く維持するための早咲きと遅咲き種の組み合わせ、北海道の広さをイメージする園内の花の色の並べ方、秋植えと春植え種の作業など、毎年、敷地のレイアウト図面がすり切れるほど試行錯誤を続けている。

この地で球根を育てると球根に新しい株ができる。これはどうも北海道特有の現象らしくて、輸入した若い球根は3年後には4,5輪の花をつけるように成長する。そういう付加価値を付けた球根を本州の切り花栽培農家に出荷する。リリーパークを訪れる人たちは花を見るために来る観光客ばかりではない。本州の切り花農家が花の実物を見にやって来る。オランダから輸入するよりも、栽培効率のいい球根がここには揃っている。

リリーパークでは期間中、常時25人ほどのパート従業員が働いている。延べの労働力としては5,000人分になる。シナジーとは波及効果、相乗効果というくらいの意味らしい。浜小清水原生花園は6月から7月下旬が花の盛りである。リリーパークの開園は7月中旬から9月上旬。ユリの町小清水町をPRすることによって、さらに球根出荷拡大に向けた取り組みはこれからも続く。(ひ)


2010年08月17日

幽玄で清涼な男鹿の滝

<幽玄にして清涼、男鹿の滝は一見の価値のある滝である>

清里市街から約30キロ離れた山中にあり、林道を10キロ以上走行して、ようやくたどりつく男鹿(おじか)の滝は、清里町に住む人でも「見たことがない」という人がいるほど、山深い場所でひっそりと流れ落ちる滝である。

滝の入り口にある駐車場に車を停めて、川沿いの小径を歩くこと数百メートル。周囲を鬱蒼とした森に囲まれ、昼でも薄暗い山中に忽然と現れる男鹿の滝は、幽玄と表現するにふさわしい姿である。

しかし、流れ落ちてくる滝の水はどこまでも澄みわたり、真夏に訪れると森林浴の効果とあいまって比類のない清涼感が味わえる。

斜里川の支流の最上流部にある高さ約25メートルの男鹿の滝は、流れ落ちる水量が多いにも関わらず、上流に川がないという不思議な滝である。

水源は滝のすぐ上で、コンコンと湧き出す斜里岳からの清涼な銀嶺水。つまり、すべてがミネラルウオーターの滝なのである。

清里町の穴場といえる男鹿の滝だが、訪れることができるのは林道から雪が消える5月下旬ころから。

また、クマが出没する可能性が高いほど山深い場所にあるために朝晩の単独行動は避け、ゴミが出た場合は必ず持ち帰るようにしてほしい。(く)


2010年08月09日

深田久弥と斜里岳

<斜里岳の美しい山容と裾野に広がる清里の街並み>

「斜里岳はかねてからその姿を写真で見て、私の憧れの山のひとつであったが~」という書き出しで、深田久弥の著書「日本百名山」の斜里岳の項は始まる。

1964年に刊行された「日本百名山」は、中高年の登山ブームの根幹を支えるバイブルともいえる名著で、未だに深田が選んだ「百の頂」を全踏破しようとする登山者が絶たない。

1959年8月下旬、深田は初めて斜里岳を訪れる。釧路から汽車で清里町を目指した日は、朝から時々雨も降るようなどんよりした天気であった。

しかし、午後に深田が清里駅に降り立った時、空が鮮やかに晴れ渡り、斜里岳の姿が鮮やかに見えたという。その美しい山容は「日本百名山」の中で「見飽きぬ斜里岳」と表現されている。

翌日の登山で深田は旧道を通り、いくつもの滝を見ながら頂上に立った。

しかし、頂上付近は深い霧に包まれ、残念ながら斜里岳山頂からの絶景は見られなかったようだ。

帰路は上二股から分岐する新道を使い、熊見峠経由で下山した。

上りに旧道、下りに新道を歩くのは、今も一般的に斜里岳で使われる登山ルートである。

初めて深田が斜里岳に登った時、建設されたばかりだった山小屋の清岳荘は、その後の焼失により建て替えられ、当時に比べると清里町内の様子も大きく変化した。

しかし、斜里岳は深田が初登山した頃と変わらぬ美しいシルエットで、今も多くの登山者を魅了し続けている。(く)


2010年08月02日

エゾシカとのおつきあい方法・知床の場合(その2)

<道路には様々な工夫がされているエコロード>

可愛くて楽しいエゾシカを見ながらのドライブも、彼らとの衝突事故でエゾシカがけがをしたり、車に大きなダメージを受けたり、さらには大きな事故に発展してしまう危険性があります。

知床にはこのエゾシカとの接触事故を減らすために、道路沿いにフェンスを設置した個所があります。この区間では過去に何度もエゾシカと車の事故が多発したり、危険性を多く持った箇所でした。フェンスを設けるだけではなく、エゾシカの行動も考慮した道路設計を行いました。斜里エコロードと呼ばれる区間は人と野生動物の共生をめざした道路になっています。

しかし、それだけでエゾシカと車の事故は減りません。私たち人間は彼らの習性を知っておく必要があります。

以下は網走開発建設部から発行されている斜里エコロードの中にある「エゾシカ注意ポイント」からの引用です。

  • エゾシカの活動時間である夕方から早朝と、春と秋に事故が多発しています。
  • エゾシカは群で行動します。1頭が渡ったからと油断すると後続のシカが飛び出すことがあります。
  • 夜間はエゾシカの目がライトに反射して光ります。走行中に光るものを見つけたらスピードダウン!
  • 道路際まで林が迫っている場所や、防風林は動物の通路になっています。エゾシカの横断も多いので、スピードを控えましょう。
  • 山間部を走行中にブレーキ跡を見つけたら要注意!誰かが飛び出した動物をさけようとした跡かもしれません。
  • 道路上ではエゾシカの蹄は滑りやすく、機敏に逃げることが出来ません。道路上にエゾシカを見つけたら減速、徐行しましょう。(さ)

この道路についての詳しい内容は、こちら


2010年07月28日

エゾシカとのおつきあい方法・知床の場合(その1)

<道路にも出てきて危険なシカだが、でも可愛い困りもの>

エゾシカが増えている。知床に限ったことではなく全国的にその数の増加が問題になっている。そんな中でも知床のエゾシカ問題は深刻。

でも、ドライブ途中に彼らの姿を見つけたならばやはり楽しい。

一年中、知床に住むエゾシカはそれぞれの季節で様子が違う。

春は大きなオスのシカの頭の上にある角がオデコの上からポロリと落っこちる。毎年、毎年あれほど大きな角が何故生え替わるのだろう?植物しか食べていない彼らなのに、大きなものでは両方の角で3kg以上もあるのだから不思議でならない。雪が解けた道路沿いには驚くほどたくさんのエゾシカが集まり、道路斜面の草を食べている。毎年、エゾシカとの衝突事故が多いのもこの季節。

夏になると、きれいな色に変わり、文字通りの鹿子模様。この春に生まれた子鹿も目に付き、緑の中に映えて美しい。

秋は彼らの繁殖行動の季節。いつの間にかきれいな鹿子模様は消えて、冬毛に移る。オスのシカがメスを追いかけ回すのも秋。この季節にしか聴くことの出来ないエゾシカの声がある。「ラッティングコール」と言ってオスがメスを呼ぶ声である。秋、山の方に耳を傾けるともの悲しいような、振り絞るような声が響く。「奥山に紅葉踏み分け鳴く鹿の声きくときぞ秋はかなしき」古今集に詠われているこの和歌もオスのエゾシカの声を詠んだもの。

運が良かったらオス同士が角をつき合わせてメスを奪い合う姿も見ることが出来るかもしれない。

そして、冬。冬は彼らにとっては命をつなぎ生きていくことが過酷な季節。深い雪に覆われた知床に彼らの食料になる植物は見つからず、深い雪を掘りながら、あるいは南斜面に、そして森の中の樹木の皮を食べて生きていかなければならない。

厳しい冬を越すことが出来ずにたくさんのエゾシカが命を落とす。それも、知床の自然の一面と捉えてほしい。流氷の美しい海を前に、彼らは必死で食べ物を探す。驚くほどの数のエゾシカがこうして生きている。

単に可愛いだけではない、生きる姿と増えすぎたエゾシカの知床の現実をそれぞれの季節で見つめてほしい。(さ)


2010年07月22日

1日1組限定の小さな宿

<ファームインゆい>

道々網走川湯線で大空町東藻琴市街地に少し入ったところに、1日1組限定の小さな宿がある。その名も「プチファームゆい」。

2001年4月に高木国広さん夫妻が始めた、農業体験ができるファーインである。高木さんは東藻琴村生まれの、いわゆるUターン組。20数年間本州で小学校の教員生活をして、故郷に戻ってきた。 

家業が農家だったとはいえ、本格的な農業は素人に近い。家業を継いだ兄や近所の農家の人たちに指導してもらいながらのスタートだった。

今ではメロン、トマト、ジヤガイモ、カボチャ、トウキビなど、なんと80種類の野菜を栽培するまでになった。安全と美味しさを求めて「理想は有機・無農薬栽培と思っていますが、それに近づける努力をしてますが、何度も現実の難しさにぶつかってます」という高木さん。 

収穫した野菜はもちろんファームインの食卓にのぼるが、網走市内で毎週即売所を開いたり、最近ではインターネットでの予約販売もするようになった。

そのせいもあって、昨年はメロン、トマトは完売してしまった。また、新しい試みとして、付近の農家3軒でジャムづくりも始めた。プラム、リンゴ、ウメ、山ブドウ、プルーンの5種類を完成させ、これも通信販売で取り扱うようにした。

<ファームインゆいの高木国広さん>

ファームインゆいの南に面した明るい食堂のすぐ近くには野菜畑が広がる。そして、その向こうにはくっきりと藻琴山のなだらかな稜線が見える。「この食堂も最初は自分たちのための、農作業から帰った後に休む土間として考えていたんですよ」と言う高木さん。

最初の計画には宿泊業は入っていなかった。だから余分な客室のスペースも作らなかったのだという。1日1組限定で、定員が8名ほどという理由がそこにある。おもしろい小さな宿である。(ひ)

099-3233 大空町東藻琴500-11
TEL.FAX 0152-66-2680
宿泊料金/1泊2食付き 5,500円(大人)
HP


2010年07月12日

宇宙を感じることのできる展望台

<展望台から斜里岳を眺める、眼下にはオートキャンプ場が見える>

以前は木の電柱や廃材を利用して作られた、見た目が少々危なっかしい展望台だったが、2001年(平成13)に建て替えられ、清里町の新名所として注目を浴びているのが宇宙展望台である。

清里オートキャンプ場に隣接した高台にある宇宙展望台のネーミングの理由は、晴れた夜にここに登ると頭の上に満天の星空が広がり、こぼれ落ちてきそうな星々を見ていると、やがて宇宙が身近に感じられるようになることに由来するとされている。

しかし、この展望台は夜ではなくても昼間の眺望もすばらしい。清里町の特徴的な風景である防風林に囲まれた、パッチワークを貼り付けたような畑の広がりを俯瞰でき、さらに斜里岳から続く知床連山の連なりまでもが一望にできるのである。

夜には宇宙の深さを、昼には北の大地の広がりを感じることのできる宇宙展望台は、その名の通りスケールの大きな光景が広がる清里町随一のビューポイントである。(く)


2010年07月05日

屋根にハマナスが咲く牧舎

<原生花園の展望牧舎>

小清水原生花園は網走国定公園のなかでも最も有名なスポットである。オホーツク海と海岸線に続く砂丘と、雄大な風景と多くの花々で、年間約80万人の観光客を魅了している。

ここが網走国定公園として指定されたのは1958年(昭和33)のことだが、植生の保存には関係者の長年の苦労が支えになっている。

1961年(昭和6)にフタトゲチマダニの大量発生が確認されて以来、北大を中心に調査が続けられた。ハマナス、ヒオウギアヤメ、エゾスカシユリなどが少しずつ外来の牧草に浸食されているという現状が指摘された。

また、1973年には近くを走る釧網線が蒸気機関車からジーゼル起動車にかわった。それまでは蒸気機関車からでる煙と火の粉が野火を起こし害虫の発生をおさえていた。

小清水町では北大の秋山茂雄教授の研究や伊藤浩司教授らの助言で、1983年(昭和58)4月に初めて原生花園の火入れを試験的に実施した。前年の秋に枯れた雑草があると、その下から新しい花の芽が出づらいということと、何度も大量発生するダニの駆除が目的だった。

その後、1993年(平成5)からは北海道が中心となり、小清水町や網走営林署など、それに辻井達一氏らの学識経験者で風景回復対策協議会を組織して野焼きの効果を研究した。

現在では原生花園を4つのエリアに分け、毎年4分の1ずつ火入れをしている。だから1つのエリアは4年ごとに焼かれるということになる。また、これまで中止していた湖畔側の町営牧場に馬の放牧も再開された。馬に園内にある雑草を食ってもらおう、という発想である。

オホーツク海岸の砂丘草原は面積97ヘクタールすべてが国有林(保安林)で、濤沸湖側の湿地草原は小清水町が離農跡地を40ヘクタールを購入し、小清水町農業協同組合所有地の126ヘクタールを借り受けて、これに民有地13ヘクタールを加えて179ヘクタール。この179ヘクタールの湿地草原と97ヘクタールの砂丘草原を合わせた276ヘクタールが小清水原生花園となっている。 ここで咲く花は40種類といわれている。

小清水町では1996年、町営牧場にこれまであった牧舎を4,800万円を投じて建て直した。景観に配慮した木造の建物は牧歌的な風景によくなじんでいる。もちろん一般の立入自由で南側には2階部分にテラス風の展望デッキもある。

この牧舎の屋根は防水加工が施され、付近の牧場の土をそのままかぶせられている。土のなかには80株のハマナスやエゾスカシユリの球根もそのまま移植されていて、季節になると牧舎の屋根には赤や黄色の花を咲かせている。(ひ)

<火入れのようす>


2010年06月28日

メルヘンの丘の黒沢伝説

<黒澤明と大江さん>

世界のクロサワの映画「夢」の第5話「鴉」のロケ地があるのが、女満別町の国道39号線から2キロほど農道を入った丘陵の朝日地区である。

炎の画家ゴッホが描いた「鴉のいる麦畑」の作品と同じ場所を探していた黒澤明の目にとまったのが朝日ケ丘の麦畑だった。

凝り性の黒澤はここにゴッホの絵のようにカラスを乱舞させたいと思った。女満別の麦畑にはカラスがいない。だが、なんとしても300羽のカラスを用意してくれという指示が届いた。当時女満別町役場の観光課長だった谷本二郎さんは頭をかかえた。何せ世界のクロサワの頼みである。

こんな時頼りになるのが女満別町で有名な便利屋、大江省二さんだった。できないことがないというのが売りの大江さんは、来る日も来る日も近郊を走り回りカラス捕りを続け、とうとう40日をかけて300羽を集め、カラス小屋を作って飼育した。

いよいよロケ本番の日が来て、木箱からカラスを放つと、見事に金色の麦畑の上を乱舞して飛び立った。「OK!カット」黒沢の声がメガホンから響くと、スタッフから拍手がわき起こったという。「大成功!ありがとう」黒澤が大江さんの所へやってきて手を握った。「いやぁ、なんもなんも」と言いながら、さすがの大江さんもちょっと照れた。

こうして黒沢、大江伝説がひとつ生まれた。今朝日ケ丘公園には展望台やパークゴルフ場が設けられ、黒澤の愛馬だった夢号が野営牧野に飼われている。麦畑とひまわり畑が広がるメルヘンの丘は、女満別町を象徴する場所になっている。(き)