2007年04月13日
戦争遺跡トーチカ8ヵ所のなぞ
網走市郊外藻琴市街をぬけて北浜へ向かう方向、左側の砂丘に頭頂部を出しているのが「浜藻琴トーチカ」と呼ばれている戦争遺跡である。トーチカ群の中で唯一見学でき、市内学校の児童が見学する。
トーチカというのは、ロシア語でコンクリートで造った防御陣地のことだ。網走市内に戦時中に構築されたトーチカ跡が8カ所ある。1943年(昭和18)から1945年ころまでに、なぜトーチカが構築されたのか。
太平洋戦争の敗色が濃くなるにつれ、アメリカ軍の日本本土上陸作戦が懸念されるようになった。北海道では太平洋沿岸だけでなく、オホーツク沿岸への上陸も予想された。これを防ぐために日本軍が網走の海岸線にトーチカを造ったのだ。
網走歴史の会は、トーチカの確認発掘作業を進め、市内に8カ所のトーチカを確認した。
- 二つ岩トーチカ 元オホーツク水族館裏(崩壊してコンクリート塊だけが残る)
- モヨロ貝塚トーチカ 貝塚裏の海岸近く(かつて形が残っていたが、整地され水産会社敷地になっている)
- 帽子岩トーチカ 帽子岩の根元(現在もほぼそのまま残されている)
- 台町トーチカ シーサイドホテル下の崖(崖の工事のため現場に行けないがほぼ残されている)
- 知人岬トーチカ 台町しおさい公園の端(完全保存されているが軍の施設跡と思われる)
- 鱒浦トーチカ 鱒浦国道付近の保安林にある(二階造りのもの)
- 原生牧場トーチカ 原生牧場レストランの裏(トーチカ跡の石碑がある。二階造りのもの)
- 浜藻琴トーチカ 藻琴から北浜へ向かう海岸(地上から頭を出している見学可能だが要注意)
浜藻琴トーチカの構築には、地元民もかり出されたという。恩根内のAさんは17歳当時夏の暑い時期に労役に呼ばれ、裸になって土を運ぶもっこを担いだ記憶を語っている。しかし、完成してからは軍によって立ち寄ることが禁止され内部がどのように造られたかも知らなかったという
これらのトーチカ群は1945年(昭和20)の敗戦と共に、軍の部隊が撤退したため、書類や図面の一切は残っておらず、どのような目的で構築されたのか、詳細は不明である。
太平洋戦争末期には、敵の上陸作戦も予想され、オホーツク沿岸も戦場となる可能性があったことを考えると、歴史の証拠として保存されなければならない。(菊地慶一)

<鱒浦のトーチカを掘る>





