2010年05月06日

帽子岩には網走発祥の物語がある

網走港に高さ23メートルの帽子岩というのがある。茶褐色の安山岩の岩肌で上部が丸く平らに見えるから、ちょうどシルクハットを海上に置いたように見えるところから、この名がついたらしい。

ところが昭和初期までは渡良岩が正式名称だったらしく、明治、大正時代の地図には渡良岩と記入されている。しかし明治のころから、俗称として帽子岩と町民に使われていたと考えられる。

<帽子岩>

1874年(明治7)網走村に着いた外国人ライマンは「――其の頭ハ丸クシテ、其ノ下ニ広キ礁岩アリ。依テ、乾潮ノ時、其一側ヨリ外形ヲ写セシニ、恰モ古形ノ縁広キ帽子ノ如シ」と記している。また、明治23年イギリス人の旅行家ランドーが網走を通過したとき、写生図を残している。

渡良岩のワタラはアイヌ語で、岩という意味でアイヌ人たちはカムイワタラ(神の岩)と呼んでいたという。この岩は網走という地名発祥の場所だという説がある。

網走という地名にはアイヌ語の解釈に四つの説があった。

  1. チパ・シリ「幣場(祭場)」で帽子岩を指す。
  2. チ・パ・シリ「我等・見つけた・土地」
  3. アパ・シリ「入り口の・土地」
  4. チパシリ・チパシリとなく鳥(民話)

網走市史上下巻執筆者の田中最勝(故人)さんは、1.の幣場の帽子岩の説をとっていた。アイヌは沖へ漁に出るとき、行きと帰りにこの島の祭壇に立ち寄り、漁の祈願をして帰りには漁の感謝を捧げたとされる。アイヌの自然観から考えると、海上に浮かぶカムイワタラへの信仰は当然のように思われる。

ところが、チパシリ岩について明治23年永田方正が「北海道えぞ語地名解」で「コノ岩崩壊シテ今ハ無シ」と伝えている。これは現在の帽子岩でなく網走湖岸にもあったチパシリ岩のことで、松浦武四郎の「戌午日誌」1858年(安政5)に、網走湖岸のチパシリ岩がスケッチされている。網走という語源を伝えるのは、もしかするとアイヌからの聞き取りしたこの岩だったのかもしれないのだ。(き)


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