2010年04月12日
キタキツネ物語余話

<『キタキツネ物語』の映画ポスター>
1962年(昭和47)の秋、ヨーロッパの毛皮市場は突然、活況を呈した。長毛種を中心にした毛皮の相場が暴騰といっていいほど値が上がった。その現象は当然日本にも波及して、バイヤーたちは毛皮を求めて奔走した。彼らの視線が北海道のキタキツネに向けられるには時間はかからなかった。
それまでキツネの原皮が1枚2,000円たらずだったものが、翌年には5倍以上の値がつくようになった。北海道でキタキツネの乱獲が始まったのである。
映画『キタキツネ物語』ほど小清水町の名を全国に広めたものはない。1978年(昭和53)に公開された、蔵原惟繕監督の作品は、雄大な北海道の大地を舞台にキタキツネたちの出会いと出産、子別れを描いた詩情溢れる物語である。
蔵原惟繕監督といえば、後に興業収入53億円という記録を作った『南極物語』やテレビの必殺シリーズで有名である。
この『キタキツネ物語』の製作になくてはならない役割をしたのが、地元小清水町に住む竹田津実さんだった。
竹田津さんは岐阜大学の農学部獣医学科を卒業すると、小清水町の農業共済組合に獣医として赴任した。それ以来キタキツネのフィールドの研究者として活動を始めていたし、キタキツネの乱獲に危惧を抱いていた。
映画の原作となったのは高橋健の『キタキツネのチロン』という作品なのだが、実際に撮影の現場ではキタキツネの生態を熟知した竹田津さんの協力なしには撮影は出来なかったに違いない。
それでも撮影開始から封切りまで3年余りもかかっている。なにしろ野生の動物が相手なものだから、画面に右からキツネが出てくるシーンを撮るのに1日も費やしたとか、忍耐と苦労の連続だった。
この映画撮影に携わった数年間の精神的な負担に対して竹田津さんは後に「我々は田舎者すぎた」という表現で語っている。しかし、この映画がキタキツネの乱獲に一石を投じたことはいうまでもない。
竹田津さんはこれまでにキタキツネ関係の著作だけでも30冊以上も出しているが、そのなかの『子ぎつねヘレンがのこしたもの』の映画化が決まり、2005年(平成17)に小清水と網走をロケ地にして撮影が行われた。視覚も聴覚も嗅覚さえも失った、あの三重苦を背負ったヘレン・ケラーの名前から取って「ヘレン」と名付けられた、生後30日ほどのメスのキタキツネが主人公である。映画は平成18年に公開された。
飼っていたニワトリを襲ったり、農作物を食ったりと、とかく地元民に嫌われるキタキツネだが、嫌われるもうひとつの理由がエキノコックスという寄生虫である。
エキノコックスは条虫(サナダムシ)で犬やキツネ、タヌキなどの犬科の動物によって運ばれ人間に寄生する。主に糞や体毛付いた虫卵によって人間の体内に入るので、キツネにはさわらない方が賢明。また、沢の水を飲むのもやめた方が無難である。
それから、最近は観光客にエサをもらって生活している、いわゆる観光ギツネが増えたが、彼らは野生動物が本来持っている狩りの習性を捨ててしまい、観光客がいなくなる冬に餓死してしまうのが多いといわれる。キツネにみだりにスナック菓子などは絶対に与えない方がいい。(ひ)





