2010年08月09日
深田久弥と斜里岳
<斜里岳の美しい山容と裾野に広がる清里の街並み>
「斜里岳はかねてからその姿を写真で見て、私の憧れの山のひとつであったが~」という書き出しで、深田久弥の著書「日本百名山」の斜里岳の項は始まる。
1964年に刊行された「日本百名山」は、中高年の登山ブームの根幹を支えるバイブルともいえる名著で、未だに深田が選んだ「百の頂」を全踏破しようとする登山者が絶たない。
1959年8月下旬、深田は初めて斜里岳を訪れる。釧路から汽車で清里町を目指した日は、朝から時々雨も降るようなどんよりした天気であった。
しかし、午後に深田が清里駅に降り立った時、空が鮮やかに晴れ渡り、斜里岳の姿が鮮やかに見えたという。その美しい山容は「日本百名山」の中で「見飽きぬ斜里岳」と表現されている。
翌日の登山で深田は旧道を通り、いくつもの滝を見ながら頂上に立った。
しかし、頂上付近は深い霧に包まれ、残念ながら斜里岳山頂からの絶景は見られなかったようだ。
帰路は上二股から分岐する新道を使い、熊見峠経由で下山した。
上りに旧道、下りに新道を歩くのは、今も一般的に斜里岳で使われる登山ルートである。
初めて深田が斜里岳に登った時、建設されたばかりだった山小屋の清岳荘は、その後の焼失により建て替えられ、当時に比べると清里町内の様子も大きく変化した。
しかし、斜里岳は深田が初登山した頃と変わらぬ美しいシルエットで、今も多くの登山者を魅了し続けている。(く)





