2010年01月05日

斜里という街

斜里町は、人口14,000人の小さな町である。シャリと言う名前もアイヌ語の「シャリsari 葦原」の意味から来ている。現在広がっている広大な斜里平野も大昔は海だったという。

江戸時代から斜里は注目されていた地域であることが様々な文献に残されている。その注目された理由は、日本の近代化に欠かせない資源に寄るところが大きかった。

明治、大正時代は木材景気。木材がなくなった平野では澱粉の生産、昭和になると知床半島の硫黄の産出。この街の発展は日本の近代化に沿っての発展であったと思う。

戦後の高度経済成長の恩恵として斜里とウトロの道路が開通した頃から斜里の大きな産業に加わることとなる「観光」がクローズアップされた。

昭和35年(1960)に知床を舞台とした映画「地の涯に生きる者」のヒットから一躍全国的に有名になり、知床ブームが始まった。大挙して押し寄せる観光客。さらに知床が国立公園に指定され、「知床旅情」がヒットして知床の名前は全国区になっていった。

年間170万人の観光客を受け入れるのは斜里町ウトロである。ウトロの人口は斜里町全体の一割。

最近では「知床」と言う名前の方が先行する事も多く、駅名も「しれとこ斜里駅」と変更をした。2005年(平成17)7月に世界自然遺産に知床が指定されてからはさらに注目が高まり、さらに多くの人が訪れる地域となるだろう。

斜里の街は、ほかの地域が抱えている問題と同じく、中心市街地が空洞化する状態が続き、その対策に知恵を出し合っている。

しかし、斜里には豊かな自然と深くつながりのある広大な農地があり、また、オホーツク海の恵みも享受できる環境がある。この環境を守っていくことでこの街の将来展望は広がっていると思う。

ウトロへの通過点ではなく、通過することに価値ある景観づくり、さらには知床へ集中する人の流れを、ゆったりと広がる山麓、田園風景へと誘い込む動きも生まれている。

数々の産業発展の歴史を見てきた斜里の街は、次のステージとして「みどりと人間の調和」をめざしたまちづくりに向けて動き出している。(さ)


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