2012年02月22日

マコイの牧場に義経が陣地を作った・・・話

国道334号が知床半島の海岸線を走りだしてしばらくたったところ、少し開けた地形の場所に小さな牧場がある。

ホルスタインを放牧している風景は、知床とは違った北海動的な風景。

しかし、春先などは放牧しているはずのホルスタインの姿よりも、褐色のエゾシカの数の方が多いこともある。

時々、エゾシカの放牧場と思う人がいるのも頷ける。

このあたりをマコイ(真鯉)(アイヌ語でマクオイ・奥 深い所)と言い、昭和44年まで学校もあった地域です。

学校のあったところが、ちょうど牧場を経営しているあたり。現在のような道路はもちろんなく、高台の方で農業をしていた家の子供たちは急峻な坂を下りて、学校に通っていたと言う。

さて、このマコイ地区からオシンコシン(オシュンクウシ・そこにエゾマツの群生するところ)までの間には、源義経の話が残っている。

義経といえば、全国各地にその足跡にまつわる話が残っていて、大きな話では彼は蒙古に渡りジンギスカンだったとか。

北海道各地にもその話は至る所にあるが、この知床にもその話が残っていることに驚く。

オシンコシンの近くに義経が上陸した話。

義経が野宿をした場所。

義経の船が帆を乾かした場所、など、アイヌ語の地名とともに、随所にそのような話が多い。

マコイ地区の現在は牧場になっている場所では、義経は合戦をした際に幕を張ったところ、との話が残っている。

誰と合戦をしたのだろうか?幕、すなわちここマコイに義経は陣地を作ったという。

その話の真意はさておき、アイヌの人たちの話の中に登場する義経の伝説。

知床半島のアイヌの暮らしの中にも和人との軋轢や争いが生じてきた時期。

都を追われた義経の話が当時のアイヌの人たちにどのように広まったのか、「奥、深い所」と言われる知床半島のマコイ地区での話に、義経伝説の深さと、アイヌの人たちが受けてきたであろう理不尽な扱いの歴史を感じる。(さ)


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