2012年02月06日

練習機「白菊」不時着の歴史

1945年(昭和20)7月20日午前10頃、美幌海軍航空隊女満別飛行場を離陸した「15試機練」という単発機が、エトロフ、クナシリに向かって原生花園から止別海岸上空をすぎていた。

これは女満別基地の練習機で「白菊」という機名であった。

機長は山本海軍少佐、操縦員は佐藤欣郎海軍中尉、偵察員が海軍2等兵曹大津昭だった。 

機は知床連峰を越える態勢で上昇を始めたとき、エンジンが不調になったため、旋回して基地に戻る態勢をとった。

しかし、高度は下がりヨシ原の湿地に不時着した。機体は沼に機首をつっこみ、逆立ちになって腹を見せていた。

大津兵曹は機体を抜け出し泥の中を土手の上にはい出た。そこは現在の斜里町大栄(大栄小学校付近)の国道から海岸方向への場所だった。 

大津兵曹は通りかかった女性の自転車の後ろに乗せてもらい国道に出て、そこから農家の馬車で斜里の警察へたどり着いたという。

結局、山本、佐藤の上官二人は現地で死亡、大津兵曹だけが生きのびたのである。

そのため、この不時着事故の経過だけが、後に学徒兵の佐藤中尉を書いた記録として残っている。

美幌海軍航空隊の美幌、女満別飛行場から飛び立った飛行機の事故は、当時目撃した住民から伝えられている。 

大栄の湿地には、アルコール実験の飛行機も不時着した。

美幌美禽の山に戦闘機墜落。美幌報徳の畑に爆撃機が不時着。

呼人の畑地に試験飛行中の機が不時着。

斜里日の出の海岸に練習機墜落。網走湖に練習機墜落。

このほか5件の事故が伝えられているが、いずれも風聞である。

誰々が死亡したのか。どれだけの兵士が命を失ったのか、当時の軍事機密、戦後の資料紛失などで今なお闇のなかである。 

「白菊」の搭乗員だった大津昭さんは、昭和60年頃に本州からやってきて、ひっそりと大栄地区を訪れた。

整然としたビート畑に変わった現地で、ひとり立ちつくしていたという。

太平洋戦争敗戦近い頃、劣悪な条件下で戦い、死んでいかなければならなかった若者たちが、東オホーツクにもいたのである。(き)


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