2007年03月21日

捕鯨基地網走には捕鯨税があった

 「捕鯨税」という聞きなれない税金があった。網走の捕鯨は1918年(大正7)にタンネシラリと呼ばれた二ツ岩裏の東洋捕鯨場で始まり、その後中断の時期もあったが捕鯨の歴史は続けられた。捕鯨場(クジラ解体場)は、築港の澗(ま)に移り、そこはクジラ浜(現在の網走港第2岸壁)と呼ばれていた。こうして捕鯨は戦前、戦後継続され「捕鯨基地網走」の名は知られていった。

 捕鯨船がクジラを捕獲してくると、合図の汽笛が鳴らした。町の人々はクジラのポーが鳴ったと言って鯨浜の解体場へ駆けつけた。沖に停泊した捕鯨船がかかえてきたクジラをボートが曳いて来て、解体場に揚げられると駆けつけた大人や子どもたちは、解体の一部始終を飽かずに見物した。解体風景を見物したという思い出を持つ市民は今も多く、郷愁と愛着を持って語られている。

 網走では現在も細々ながらツチクジラの捕獲が続けられていて(ツチクジラ4頭の捕獲枠)、水揚げが夜更けになるときでも、網走商港の解体場に多くの市民が駆けつけている。

 ところで、かつて捕鯨税というのがあったことが、税の申告書で残されている。昭和7年、網走町長宛のもので「6月7日長須一頭、漁場網走北東23哩、右申告申告候也」とあり、地方税48円、町税28円80銭とあるから、ナガスクジラ一頭を獲ると76円80銭が納入されていたことになる。昭和16年から「鯨一頭に付き80円」となっている。

 戦後昭和23年の新聞記事にも、日本水産捕鯨部が60万円、豊洋捕鯨が10万円の捕鯨税を滞納しており、市は日水本社と交渉し最終処分も考えていると報じている。しかし、この滞納の結果は吉田市長のハラで課税率を引き下げてケリをつけたそうだ。議会で質問を受けた市長は意味深長な笑いをしたというのだ。

 捕鯨税という事業税はどんなものだったのか。大会社の顔色を見ながら税金を取り立てる時代だったのかも知れない。とにかく、網走ではクジラの水揚げ高が大きく、市の財政は捕鯨税に頼るところも大きかったのだろう。それだけに捕鯨最盛期は網走のよき時代を伝える歴史である。(菊地慶一) 

  

<写真>二ツ岩の捕鯨場


トラックバックURL

この記事へのトラックバック

この記事へのコメント

この記事にコメントする

名前:
メール:
評価: