2010年02月26日

ぜいたくな舞台の知床・オーロラファンタジーの魅力

<幻想的な光の演出のオーロラファンタジー>

ウトロでかつてオーロラが見えた、と言う話があった。真意のほどは分からないが、少なくても今の知床の夜空よりもずっと人工的な光がなかった時代のことだから、見える可能性は高かったと思う。

海は氷で埋め尽くされ、雪ばかりで真っ白な世界、おまけに寒い。そんな冬の知床へ誰が来るというのだろう。それが20年前のウトロの当たり前だった。しかし、人が来てほしい。ホテルも温泉もある知床の冬に人を呼びたい。地元の人たちは様々な試みを行った。

寒さを活かしてペンギンも連れてきた。しかし、なんとそのペンギンは寒さで風邪をひいたそうだ。そんな時、かつて「見えた」と言うオーロラの再現を試みた。

それがオーロラファンタジー。

崖の上のホテルの一室からレーザー光線を氷上で燃やした藁の煙に投影する。ただそれだけなのだが、とても幻想的だ。

はじめてこのオーロラショーを見たときには感動して、知床の空へ引き込まれそうになった。人工的な光に感動するなんて、ちょっと自分が恥ずかしかったが、翌年も見に行った。

オーロラファンタジーの魅力は、投影されるレーザー光線だけではない。その会場、舞台となるのが作り物ではない本物の知床の厳冬期の夜の外にあることが大きい。

知床を訪れた人は日中はアクティビティなメニューで楽しむが、この真冬の海も氷だらけの夜、氷点下の外に誰が好き好んで立っているだろう?オーロラファンタジーは観ることを楽しむのではなく、真冬の夜の外で体感するイベントなのである。暖かな部屋でスクリーンを観ることとは違う、体験する感動が魅力なのである。

幻想的なレーザーの光に加え、足下が震えるような大容量のスピーカーから流れる音楽。これで、波の音があったなら違ったものになるだろうが、流氷で覆われた海の上に近い会場には音がない。それが山のように大きなオロンコ岩と三角岩と言う大道具がセットされた舞台で繰り広げられる。

人工的という行為が消されてしまうほどの自然の舞台は、もしかしたら最高に贅沢な設定かもしれない。吹雪の夜も、厳寒の中でも、風が吹いても「自然」の舞台で繰り広げられるオーロラファンタジー。白い息を吐きながら、また感動をもらいに行こうと思う。(さ)


2010年02月19日

幻となった氷原の会

毎年冬、2月下旬か3月の頭に、鉄鍋やヤカン、段ボールなどを持った男女が、夕方に網走市北浜駅近くの海岸に集まってきた。

ここ北浜海岸は、能取岬から知床岬突端までの網走湾が、ゆるやかに湾曲する位置の、いちばん入り込んだ地形の場所である。

しかも、世界遺産登録の知床連峰が目の前に輝いている。この海岸線を眺めた人たちは誰もが息を呑む。それなのに、「日本の渚百選」に選ばれ?なかったのはなぜか?お役人の机上の仕事のせいである。また、選定委員が高齢で流氷の来るオホーツク沿岸まで、とうていやって来れなかったのではないか。

さて、北浜海岸に集まるのは、氷原の宴を開くためである。正式名称は「氷原で番茶割を飲む会」といった。氷原を沖に向かって進む。100メートルか200メートル歩き、大きな氷塊の陰でたき火を始める。肉を焼き、湯を沸かして焼酎の番茶割をつくり乾杯!ということになる。

夜更けまでわいわいやるのは、オホーツク文化の会の会員を中心に、その時々の参加者が混じっている。この会のために東京からわざわざやってきた女性もいたし、近くのユースホステルに泊まっていて、何をやっているんだろうとやってきた青年もいた。だれでもいいのだった。

とにかく零下20度近い冷気の氷原で、酒を酌み交わし話し合うのを至上の喜びとし、古代オホーツク人の精神に近づいたつもりだった。

<氷原の会(1995年)>

その氷原の宴が開催不能となった。15年も継続していたものだったが、もっとも流氷原の安定する北浜海岸の流氷が弱体化して、真冬でも海面を見せるようになったのだ。流氷の変化を伝えるものはたくさんあるが、流氷の宴で開くことができない状況もそのひとつである。

地球温暖化の影響をいちばん早く受けるのはオホーツク海である。流氷の今昔を調べてみると、それがはっきり浮かび上がってくる。オホーツク海はまわりを大陸や島に囲まれている比較的浅い海であり、アムール川の陸水が大量に流れこむため凍りやすい。

北緯44度の奇跡とも言われている流氷到来の条件を持つ海である。そのため気温の変化などを微妙に感じ取り、温暖化の兆しをいち早く見せるのかも知れない。(き)


2010年02月12日

ワカサギの氷下漁はサハリンからか

網走湖は汽水湖といって、海水が流れ込んで塩分がまじる湖である。この適度な塩分が様々な魚類の棲息には条件がいいらしい。

ワカサギ、シラウオ、鯉、鮒、スジエビ、シジミと魚種も豊富だ。漁業も5月から10月中旬までがシラウオ漁、9月から翌年3月までがワカサギ漁と、ほぼ通年漁期が続く。唯一4月だけが漁がないが、この頃にはワカサギの種苗卵のふ化事業があるので、網走湖で漁をする漁師さんには暇がない。

<結氷した網走湖でおこなわれる氷下漁>

西網走漁業協同組合は網走湖で漁をする人たちで組織されるが、現在組合員は約70戸。そのうち女満別の漁師さんは10戸。ほとんどが網走湖の女満別湖畔近くに住んでいる。

現在の漁業の中心はなんといってもワカサギ漁だ。網走湖のワカサギは道内でもいちばん魚形が大型だとされるが、人気の秘密はワカサギの味だといわれている。適度な塩分のため魚の臭みがないのだという。  

網走湖は冬期間には結氷して一面の氷の原野と化すのだが、もちろん、この冬の間もワカサギ漁は続けられる。いわゆる氷下漁と呼ばれる特殊なやり方である。

この漁法は、2等辺三角形の底辺に当たる長さ120間の線上に30間間隔で氷に穴を開ける。この穴から先端にロープを結んだ長大な板を差し入れて穴から穴へロープを渡していく。  

今度は両方の底辺の角から三角形の頂点の穴をめざして、同じ要領でロープを渡していく。この両辺の長さは150間になる。これでロープの三角形ができあがる。

次に底辺の中央に少し大きめの穴を開けてここから出ているロープに網をつなぐ。最後に頂点部分から出ているロープを引っ張ると自動的に網が水中に引きずられて入っていく。これで仕掛けは完了で、あとは先端のロープを巻き上げるだけ。

氷下網はきれいな楕円形になって、三角形の頂点へと引き揚げられる。この一連の作業を3人一組でこなす。冬の間、網走湖全域で10カ所以上も同様の仕掛けが設置される。  

このちょっと特殊な漁法、実は誰が最初に考案したのかということになると、諸説があって議論が分かれるところらしい。

そもそも氷下漁は戦後、1949年(昭和24)頃から始まったものなのだが、それ以前は湖が結氷していない時期にしか、ワカサギ漁はやらなかった。それが突然始まったというのだ。  金野勇喜さんという人がいた。明治34年生まれ。昭和初期にサハリンに渡り、トッカリ漁をして暮らしていた。

戦後は網走に引き揚げ、数年トッカリ漁をしていたが、昭和23年に女満別へ移住。この人、なかなかのアイデアマンだったらしい。ある日、氷に穴を開けて刺し網を入れて鯉を獲っているところを地元の漁民に見つかった。  

こんな方法で魚が獲れるのかと、たちまち話題になったらしい。その翌年から数軒の漁師さんが、氷に穴を開けて、それぞれがやり始めたようである。

その後、単なる刺し網の方法から少しずつ改良され現在に至ったと考えるのが自然のようだ。網走湖の氷下漁は全国に知られ、道内のほか、本州の結氷する湖の漁業関係者の視察が続いた。  

氷に穴を開けて行う漁法はサハリン仕込みのものなのか、金野さんは100歳まで生きたが、自分が考え出したとは家族にも言わなかったそうである。(ひ)


2010年02月05日

熱気球に夢乗せて

 <バルーンフェスティバル> 

<大空に上がる熱気球>

冬のスカイスポーツを楽しむグループが小清水町にある。小清水熱気球クラブである。現在のメンバーは全部で20人。農業や商業、団体職員などが集う、1991年(平成3)にできた夢を追うグループである。

そもそものきっかけは1985年(昭和60)に日本気球連盟が道東の地で気球に適した場所探しをしていたことから始まる。農業を営む松井裕悦さんのところに連盟から気球のテストフライトのために農地を貸してもらいたいという依頼がきた。畑を使用する条件として自分も熱気球というものに乗せてもらいたいと松井さんが提案した。冬の大空にゆっくりと上昇する気球に乗って、その面白さはもちろんのこと、これまで見たこともなかった小清水町の雄大な風景に感動した。それから松井さんは仲間づくりに奔走する毎日が続いた。

北海道で熱気球を楽しんでいるグループは7カ所あるが、気球から流氷が見えるというのは珍しい。それが小清水の特長でもある。高度約2000フィートの気球からの眺めは旅客機から地上を見るのとはまったく違う。斜里岳が目の前にあるような錯覚を感じたり、地上を走るシカやキツネや眼下に飛ぶ鳥もはっきり見える。気球が降下するときなど、雪が下から降ってくるように見えるという。

熱気球のパイロットにも操縦ライセンスが必要で、日本熱気球連盟認定の免許を現在13人が取得している。保有する熱気球は13機。気球1機にライセンス取得者が最低1名が乗り込む。小清水町は平成3年にスカイスポーツ基地構想という事業を開始し、ふるさと創生事業の資金の一部で熱気球を購入するという力の入れようである。

熱気球の本体は直径が約15メートル、内部の容積は約2,200立方メートル。最初に巨大な送風機で気球の内部に風を送り、ある程度膨らませてからバーナーに点火し気球の内部に熱を送る。あとは暖かい空気は上昇するという性質を利用して気球が浮き上がる、という仕掛けである。しかし、熱気球の上昇する力はなかなかのものである。

気球の重量が約70キロ、燃料のプロパンガスボンベが3本で70キロ、点火用のバーナーと籐製のゴンドラなどの機材が50キロ、それに乗員4人として総重量は500キロに達する。これがゆっくりと空中に舞う。ロープをつけた係留の飛行も行うが、このときには4台の車にロープをつなぐという。それくらい力が強い。降下をするときはバーナーの点火を止めれば自然に降りることになるが、高度の調整用としてリップと呼ばれる7メートルほどの蓋が気球の天井部分についていて、ひもを引くと蓋が開いて内部の暖かい空気が抜け、気球は一気に高度を下げることができる。こうした飛行高度の調整をしながら、静かに着地するのがパイロットの腕の見せどころでもある。

小清水熱気球クラブでは12月から翌年3月までの冬期間、活動を続けている。離陸場所は小清水町市街の多目的運動場になったが、着地点はどこかの畑になる。その時の気象によって着地点が変わる。冬期間はほぼ北西の風が吹くこの地方、気球は斜里、清里方向に向かうのが普通だが、オホーツク海へ向かう南風が吹いている場合や、風速5メートル以上になるとフライトは中止である。一般の人たちの有料体験も歓迎してくれるが、気象のコンデションが万全な日を待つゆとりが必要である。(ひ)