2010年03月31日

名作「幸福の黄色いハンカチ」の網走駅

山田洋次監督、武田鉄矢、桃井かおり、高倉健出演の映画「幸福の黄色いハンカチ」は、アメリカの作家ピート・ハミルの原作を翻案、映画化したものだ。

模範囚として網走刑務所で6年の刑期を終えた男が、行きずりの若者2人と共に、妻のもとへ向かう姿を描いている。

網走刑務所を出役した男(高倉健)が網走駅にやってくる。この冒頭が網走市民にとっては忘れられない。駅に向かう男は駅前で立ち止まり、乗車前の腹ごしらえにラーメン屋に入っていく。「駅前ラーメン」という店は実際にあった。 男はラーメンとビールを注文する。ビールが運ばれ(勿論ビンビール)男はコップについだビールを両手で挟むようにしてグーッとあける。出所したとたんのビールはどんなに美味なものか。そしてラーメンをすする。

<旧網走駅>

特別のことはない。それだけである。作品のストーリーに関わらないひとシーンだが、ここに刑期を終えた男の感情がしみじみとあふれている。

「おまちどおさま」とラーメンを持っていくおばさんは、当時の駅前ラーメンの実在のおばさんで、ワンカットにずいぶん苦労をしたと伝えられていた。

その後のストリーはご存じの通り。車の男女(武田、桃井)に誘われてなぜか釧路、狩勝峠まわりで、男は妻の待つ夕張へ向かう。そしてラストシーンの炭坑長屋で、感動的な場面が出現するのだ。

映画は1977年(昭和52)公開のものだが、網走駅はこの年改築が行われ現在の駅舎になった。おそらくロケの時は、以前の木造駅舎ではなかったか。新、旧いずれの駅舎の時も「網走駅」いう木板の看板が何度か盗難にあった。駅名看板の縦書きは全国でもめずらしく、そのため人気が高く記念撮影をする観光客が多い。重厚な木板が立派なために盗まれらしいが、いったい盗人はどこに飾ろうとするのだろう。

ある駅長が駅名看板の由緒を記した看板を制作した。駅名が縦書きなのは、網走刑務所を出所した元受刑者が看板を眺めて、文字のごとくまっすぐな気持ちで力強く社会復帰をしてもらいたいという願いから縦書きにしたとあった。

盗難防止の狙いもあったのだろうが、どうも牽強付会にすぎると思っていたら、いつの間にか説明板は姿を消している。(き)


2010年03月26日

オオワシとオジロワシが嬉しい

<ちょっと西洋っぽいオオワシ>

 

<鋭さが強調されるオジロワシ>

日本国内で確認される最大の猛禽類が、ここ知床の冬に渡ってくるオオワシであることは嬉しい。美しさでも一番という評判も嬉しい。それに次ぐ大きさのオジロワシ。このオジロワシは知床で繁殖が確認されている。これも嬉しい。

オホーツク海に流氷の便りが流れる一月ほど前、北風の強い寒い日に彼らは遠くサハリンや極東地域から渡ってくる。知床半島にぶつかり、ここの上空で旋回しながら「鷲柱」と呼ばれるような光景を作り上げる。11月は知床を訪れる人も少ないのでこの光景を目にした人は少ないと思う。実際、地元の人たちも「いつ来たのかね~」と初雪の頃に姿を見せる彼らが、高い樹上に止まっているのを見ながらつぶやく。

彼らの美しさは写真でも紹介されているが、実際にこの目で間近に見ると、改めてその大きさに驚く。羽を広げると2メートル45センチ。

ウトロに住む人たちが斜里へ向かう車の中で流氷の上に居たこのオオワシを、思わず人だと思い「危険ですよ~」と声をかけたそうだ。

海岸線の道路を走っているとゆったりと羽ばたきもせずに上空を飛んでいく姿は何度見てもすばらしい。知床のこの急峻な地形から生じる上昇気流に乗っているのだろう。

オオワシとオジロワシの見分け方をよく聞かれる。どちらも尾羽は白い。しかし、オオワシは肩も白い。しかし、これは成鳥でありまだ若いオオワシには当てはまらない。

間近で顔を見ることは難しいが、双眼鏡でのぞいてみると嘴の大きさ、色などで違いが顕著である。

全く個人的な感想で申し訳ないけれど、オオワシはハリウッドスターのクリント・イースト・ウッドに似ていると思う。そしてオジロワシはと言えば、小説家の川端康成氏によく似ていると思う。目の鋭さ、そしてあの厳しい表情。

オオワシは西洋的であり、オジロワシは凛とした厳しさの日本的なイメージがある。

とにかく、春の訪れとともに彼らの姿は見えなくなる。

是非、冬の知床でその姿を見ていただきたい。(さ)


2010年03月19日

流氷が消える?

<昔は巨大な流氷が押し寄せたのだが>

18年前の1989年(平成元)3月2日。気象台は「オホーツク海の流氷の岸寄りはありません」という海氷情報を出した。もう、流氷は見られませんよ、という宣言だった。これにはオホーツク沿岸の人々は、たまげてしまったが、この冬3月3日、気象台は海明け宣言をさかのぼって2月15日と発表した。

これは18年前と同じような絶望宣言であって、深い悲しみを感じてしまうほどだった。2月15日と言ったら、もっとも流氷の多い頃で、流氷出現確率97パーセントのはずなのである。いったい流氷はどうなるのか。

今冬の流氷は、2月5日初日で翌6日が接岸初日となった。だが、初日も接岸も、えーっ、これがと言うほど勢力の弱いものであった。気象衛星からの資料で示される流氷図は、海面積の流氷を示しているものの、厚さなどの勢力は不明で、平坦な薄いものであったと推測される。

1月20日から流氷観光砕氷船「おーろら」は、運航を始めたが、流氷に出会った日数はわずかに12日であった。これは運航20年のシーズンで、もっとも確率の低いものであった。

7年ほど前に、「2100年流氷が消えた海」というタイトルのシンポジウムが、斜里町で開かれた。このとき研究者の一人は、地球温暖化の兆候が最初に現れるのはオホーツク海と述べていた。百年後に海水温が2度以上上昇すると予測していたのだった。ところが2100年から94年も早い今年に兆候が現れ始めたのだ。

流氷が来ないということは、観光だけでなく動植物、漁業、農業にも影響する。18年前の流氷ゼロ年は、オホーツク沿岸の人々にとってはショックであり、自然が変貌しつつあるという現実は脅威だった。

今冬の流氷退去も重い現実を私たちに突きつけている。もちろん、自然は揺り戻し現象を見せるだろうが、流氷の減退、消滅は年々現実味を帯びてくるだろう。流氷が危ないと言い続けてきた、オオカミ少年ならぬオオカミ老年の私だが、まだまだ警告を叫び続けて行かなければならない。(き)


2010年03月12日

神秘の峠、裏摩周展望台と神の子池(清里峠)

清里峠は清里町と中標津町の境界に位置し、さらに網走支庁と根室支庁の境界にもなっている峠である。清里峠の標高は434メートルで、中標津方面から車で走ってくると、なだらかな上りの直線路が峠の直前まで続き、峠道をドライブしている感じが少ないが、清里町側では一転してコーナーが連続する道に変わる。

おそらく周辺の地形が関係していると思われるが、頂上を境にこれほどまでに、対照的な道路状況見せる峠は珍しいのではないだろうか。

<湖水と空の青さが爽やかな夏の裏摩周展望台からの光景>

この清里峠の頂上付近から分岐する道を進むと裏摩周展望台がある。霧に眠る神秘の湖・摩周湖は弟子屈町にある第一、第三展望台から眺めるのが一般的だが、裏摩周展望台からの摩周湖は格別な姿を見せる。

1931年(昭和6)に実施された調査で41.6メートルという透明度を記録して、世界一の透明度を誇る湖となった摩周湖だが、大気汚染などの影響か近年の調査では20メートル前後と透明度が半減してしまった。しかし、今でも青く澄み渡った湖水は神秘的な輝きを見せ、裏摩周展望台から見ると、左手から湖に張り出すようにそびえ立つカムイヌプリ(摩周岳)の姿がひときわ美しい。さらにカムイヌプリの山容からは、摩周湖が火山活動から形成されたカルデラ湖であることがうかがい知れる。

この摩周湖の伏流水を水源とする周囲220メートル、水深約5メートルの小さな池が神の子池である。池の水温度は年間を通じて8℃前後で冬でも結氷することがない。アイヌ語でカムイトー、神の湖と呼ばれる摩周湖の水が湧き出す場所なので、神の子池と呼ばれるようになったらしいが、原生林に囲まれた池の水は色鮮やかなエメラルドブルーで、その名前にぴったりの神秘的なムードをかもし出す。

池を上からのぞくと、澄み切ったブルーの水の中には何本もの倒木が重なり合うようにして沈み、その間を人目も気にせずに悠々と泳ぐオショロコマの姿も見える。さらに池に近寄ってみると、底の方には砂を巻き上げながら水が湧き出している場所が何カ所もあり、神の子池が伏流水によって成り立つ池であることがよく分かる。

神の子池の入り口は清里峠を清里町方面に約8キロ下った場所にある。林道入り口に立つ「神の子池」の看板を確認後、ダート道を2キロほど進む。冬季は除雪が入らないので、車では行けないが、クロスカントリースキーやスノーシューのコースとして、雪上を歩いて神の子池に行くのも楽しい。(く)

<神秘的なエメラルドブルーの水をたたえる神の子池>