2010年04月26日

いなかったはずの知床五湖のフナ

 <美しい知床五湖も養殖池になりそうだった昔>

知床五湖は美しい湖である。原生林の中にひっそりと五湖の湖が点在する。名前があまりにもそのままなので、以前はそれぞれに女性の名前を付けて呼んでいたりした時代もあったらしいが、現在はやはり「知床五湖」である。女性の名前の湖で呼ばれずに良かったと今は思う。それぞれが順番に一湖、二湖と続く。

よく、知床を原始の姿とか秘境とたとえるが、実際、原生林の中の雰囲気を体験できる場所はすくなく、その少ない中でこの知床五湖は貴重な場所だと思う。

湖の景色もすばらしいが、その湖を眺めながら散策の出来る場所が、原生林の中なのである。もちろん、場所によっては草原だったり、あるいは湿地の場所もあるが、少し奥を歩くと、鬱蒼とした原生林の雰囲気にふれられる。

その原生林の中にある湖にはフナが居る。

一湖にたどり着くと、時には水面でパクパクと呼吸をしたり、そう深くはない水辺に姿が見える。地味な色合いの「銀ブナ」と呼ばれるフナである。

しかし、元々この湖に魚は生息していなかった。

もう、20年ほど前になるが大学の先生がこの湖について説明をしてくれたとき「この湖には魚は生息していません」と言った。

しかし、どうだろう。今はたくさんの魚の姿が見える。

実は、この知床五湖の周辺に開拓で入植した人たちが魚を放流したと言う記録が残っている。名物名所にするために鯉、ニジマス、フナを放流したが、その後、フナだけが残ったとのこと。しかし、ここまで数が増えたのは最近のことで、地元の人は最近の冬の暖かさが原因ではないかと言っている。しかし、放流したのは昭和29年頃の話だから、50年も前のこと。今後、知床五湖ではこのフナが増え続けるのだろうか。

一湖でたくさん確認されてから、やがて二湖でも三湖でもその姿が確認されるようになった。

どこから移入されたフナなのか今は分からないが、知床で50年を経た現在、なにか知床固有の特徴などは現れていないのだろうか・・と新たな名物になるかもしれないフナに注目している。(さ)

 

 

 <放流されたのはギンブナ>


2010年04月19日

東オホーツクにはミズバショウ群落が多い

<呼人のミズバショウ群落>

東オホーツクには湿性植物が多い。なかでもミズバショウの群落は、この地方で何カ所も見ることができる

ミズバショウはサトイモ科の多年草で、淡緑色の葉は長さ1メートルになるものもある。地下に大きな球状の根茎があって、5月には葉に先だって白色の仏焔苞(ぶつえんほう)を持った黄緑色の花穂を出す。

女満別町の網走湖湖畔に広がる群落は日本でもいちばんエリアが広いと言われている。その広さは約56ヘクタールという広大な面積を誇る。1972年(昭和47)に国の天然記念物に指定された。280メートルもある木道も整備されていて、季節になると写生会などで人が集まる。毎年4月下旬頃に花が咲き始め、5月10日頃には一面が白い花で埋もれる。満開の頃にはほのかな香りも漂わせているのがわかる。

女満別町の他にも網走市呼人の群落もすごい。国道39号線のすぐ近くなので気軽に立ち寄って写真を写す人も多い。ここは呼人地区の住民を中心に「網走湖・水と緑の会」を組織して、ナショナルトラスト運動として募金事業を進めた。その結果2.5ヘクタールの湿地を買い上げ、それを2002年に網走市に寄付をした。

また、あまり知られていないのが、網走市音根内地区のオンネナイ川とオムニナイ川流域で、小さな川の両側に沿って長く群落が続く。ここは他の群生地に比べて花の開花が少し遅く、5月中旬頃が見ごろである。これまで実測されたことがないが、実はエリアとしてはかなり広い。(ひ)

<女満別のミズバショウ群落>

 <花が開いたミズバショウ>


2010年04月12日

キタキツネ物語余話

 

 

<『キタキツネ物語』の映画ポスター>

1962年(昭和47)の秋、ヨーロッパの毛皮市場は突然、活況を呈した。長毛種を中心にした毛皮の相場が暴騰といっていいほど値が上がった。その現象は当然日本にも波及して、バイヤーたちは毛皮を求めて奔走した。彼らの視線が北海道のキタキツネに向けられるには時間はかからなかった。

それまでキツネの原皮が1枚2,000円たらずだったものが、翌年には5倍以上の値がつくようになった。北海道でキタキツネの乱獲が始まったのである。

映画『キタキツネ物語』ほど小清水町の名を全国に広めたものはない。1978年(昭和53)に公開された、蔵原惟繕監督の作品は、雄大な北海道の大地を舞台にキタキツネたちの出会いと出産、子別れを描いた詩情溢れる物語である。

蔵原惟繕監督といえば、後に興業収入53億円という記録を作った『南極物語』やテレビの必殺シリーズで有名である。

この『キタキツネ物語』の製作になくてはならない役割をしたのが、地元小清水町に住む竹田津実さんだった。

竹田津さんは岐阜大学の農学部獣医学科を卒業すると、小清水町の農業共済組合に獣医として赴任した。それ以来キタキツネのフィールドの研究者として活動を始めていたし、キタキツネの乱獲に危惧を抱いていた。

映画の原作となったのは高橋健の『キタキツネのチロン』という作品なのだが、実際に撮影の現場ではキタキツネの生態を熟知した竹田津さんの協力なしには撮影は出来なかったに違いない。

それでも撮影開始から封切りまで3年余りもかかっている。なにしろ野生の動物が相手なものだから、画面に右からキツネが出てくるシーンを撮るのに1日も費やしたとか、忍耐と苦労の連続だった。

この映画撮影に携わった数年間の精神的な負担に対して竹田津さんは後に「我々は田舎者すぎた」という表現で語っている。しかし、この映画がキタキツネの乱獲に一石を投じたことはいうまでもない。

竹田津さんはこれまでにキタキツネ関係の著作だけでも30冊以上も出しているが、そのなかの『子ぎつねヘレンがのこしたもの』の映画化が決まり、2005年(平成17)に小清水と網走をロケ地にして撮影が行われた。視覚も聴覚も嗅覚さえも失った、あの三重苦を背負ったヘレン・ケラーの名前から取って「ヘレン」と名付けられた、生後30日ほどのメスのキタキツネが主人公である。映画は平成18年に公開された。  

飼っていたニワトリを襲ったり、農作物を食ったりと、とかく地元民に嫌われるキタキツネだが、嫌われるもうひとつの理由がエキノコックスという寄生虫である。

エキノコックスは条虫(サナダムシ)で犬やキツネ、タヌキなどの犬科の動物によって運ばれ人間に寄生する。主に糞や体毛付いた虫卵によって人間の体内に入るので、キツネにはさわらない方が賢明。また、沢の水を飲むのもやめた方が無難である。

それから、最近は観光客にエサをもらって生活している、いわゆる観光ギツネが増えたが、彼らは野生動物が本来持っている狩りの習性を捨ててしまい、観光客がいなくなる冬に餓死してしまうのが多いといわれる。キツネにみだりにスナック菓子などは絶対に与えない方がいい。(ひ)


東オホーツク百の話 at 15:49 | PermalinkComments( 0 )TrackBack( 0 )

2010年04月08日

網走川113キロの中の網走湖

網走川は総延長何キロメートルあるのか。「113キロである」。では途中にある周囲42キロメートルの網走湖は、網走川になるのかならないのか。これが問題になった。

<網走湖と呼人半島>

まず、網走川の出発点である源流はどこか。「津別町相生の釧北峠の近くにある」。

10年前の2000年(平成12)6月、網走川を歩く会では、これを実行した。源流までの距離を6つに分け6日間にわたって川沿いを徒歩で遡行して源流に向かった。

釧北峠まで約4キロの国道そばから、沢に入り林道に沿って原始林を10キロほど進んだ所の小山の陰から、滾々(こんこん)とわき出る源流水があった。釧北峠に近い標高978メートルの阿幌岳につながる位置であった。

この113キロ遡行の中で、オホーツク海河口から網走川と網走湖をボートで遡った。開発建設部の見解では網走湖の真ん中を網走川が通っていることになるという。

ところが、網走湖を走って見ると、呼人半島の先端が突き出しているため、大曲の湖口から女満別の網走川口までは直線が引けない。

湾曲した線になる。まさか湖の中の網走湖が蛇行をしながら流れているわけはない。

とにかく開発建設部の計算では湖の中の11キロが、網走川であるという。これはちょっと珍しいことである。

  

<源流近い川>

歴史的に見て網走川113キロは、かつて交通路の役目を果たしていた。

明治の網走刑務所建設では、網走沖にやってきた貨物船から降ろされた建築資材は、小舟で網走川を遡って運ばれ、野付牛(北見)や端野への屯田兵入植も、小舟で家族や荷物を網走湖の荷揚坂(嘉多山)に運び内陸に向かった。

また、網走、女満別、美幌、津別で切り出した木材を川の流れを利用して下流に運ぶ「流送」事業が盛んに行われ、それぞれの基地として内陸発展の元となった。美幌町などは近隣の農産物を川を利用して運搬集約する業者が多く美幌発展の基礎となった。

網走川や網走湖は環境汚染の状態で、かなり重体なっていると言われる。流域人口約8万人にとっても、オホーツク海の将来にとっても、見過ごすことのできないのが網走川である。 (き)


東オホーツク百の話 at 14:07 | PermalinkComments( 0 )TrackBack( 0 )