2010年06月28日

メルヘンの丘の黒沢伝説

<黒澤明と大江さん>

世界のクロサワの映画「夢」の第5話「鴉」のロケ地があるのが、女満別町の国道39号線から2キロほど農道を入った丘陵の朝日地区である。

炎の画家ゴッホが描いた「鴉のいる麦畑」の作品と同じ場所を探していた黒澤明の目にとまったのが朝日ケ丘の麦畑だった。

凝り性の黒澤はここにゴッホの絵のようにカラスを乱舞させたいと思った。女満別の麦畑にはカラスがいない。だが、なんとしても300羽のカラスを用意してくれという指示が届いた。当時女満別町役場の観光課長だった谷本二郎さんは頭をかかえた。何せ世界のクロサワの頼みである。

こんな時頼りになるのが女満別町で有名な便利屋、大江省二さんだった。できないことがないというのが売りの大江さんは、来る日も来る日も近郊を走り回りカラス捕りを続け、とうとう40日をかけて300羽を集め、カラス小屋を作って飼育した。

いよいよロケ本番の日が来て、木箱からカラスを放つと、見事に金色の麦畑の上を乱舞して飛び立った。「OK!カット」黒沢の声がメガホンから響くと、スタッフから拍手がわき起こったという。「大成功!ありがとう」黒澤が大江さんの所へやってきて手を握った。「いやぁ、なんもなんも」と言いながら、さすがの大江さんもちょっと照れた。

こうして黒沢、大江伝説がひとつ生まれた。今朝日ケ丘公園には展望台やパークゴルフ場が設けられ、黒澤の愛馬だった夢号が野営牧野に飼われている。麦畑とひまわり畑が広がるメルヘンの丘は、女満別町を象徴する場所になっている。(き)


2010年06月21日

誰もが納得の「感動の径」がある

<感動の径ウォークでヒマワリ畑を歩く>

何が感動的と言っても、「感動」という言葉を冠した観光路があることに感動してしまう。感動の径というネーミングを思いついた人の、大胆、意識過剰、陶酔にあきれ果てたのだが、網走市ではだれも異をとなる人はいない。なぜだろうか。実際にここを歩いて見ると、誰もがたしかに感動するからである。

感動の径は、網走市内から天都山を経て東京農大の前を通り、中園分岐を通り、藻琴駅前に出るコースらしいが、女満別から網走東部にかけての大丘陵地帯は、どこから歩いても感動の径と言って良いだろう。

私も何度も歩いた。秋の「感動の径ウオーク」をはじめ、女満別から「松浦武四郎の道を歩く」「黒澤映画ロケ地を歩く」「キガラシとヒマワリの道へ」「畑作三品(小麦、ビート、馬鈴薯)の農村を歩く」などなど、小さなテーマを作って仲間と歩いた。また、冬の流氷期に、この丘陵から眺めるオホーツク海と知床の展望もすばらしい。歩くスキーの醍醐味もここにはある。

歩き方はさまざまのアプローチの方法がある。催しの時だけでなく、三三五五人々が歩いていて、ふれあい話し合いの場所になっている姿が本当の意味の「感動の径」だろうと思っている。名付け親は、名鉄観光のNさんだと伝えられている。網走付近のツアーを企画した時、天都山から鱒浦の海岸までの丘陵ウオーキングを組み入れ、解説も加えず景色を堪能してもらったのが好評で、それが発端となり、網走市、観光協会の協力によって「感動の径」が定着したと語っている。

観光業者というか、地元でなく外部の人の目で、この丘陵の魅力を発掘したというのは、新鮮な感動であり、虚をつかれたという感じがする。「感動の径」には観光地とは何か、という基本があるように思える。食べ物とイベントなど定番的もてなしから、脱皮しなければならないことを教えている。

いつか「感動の径ウオーク」に参加したとき、間もなく東京へ出て働くという網走生まれの女性が、この景色は私にとって一生忘れられないものなるでしょう、と感動をこめて語っていたのだった。富良野や美瑛に勝る広大なスケールの丘陵、世界自然遺産、知床連峰を遙かに望む景観は、東オホーツクに住む私たちの貴重な財産である。日本ウオーキング協会選定の「美しい日本の歩きたくなるみち500選」に選ばれたのも当然である。(き)


2010年06月14日

サクラマスが遡上する、さくらの滝

<豪快かつ華麗な姿のさくらの滝、この落差をサクラマスは飛び越えようとする>

清里町の新名所として近年多くの観光客が足を運ぶようになった場所が、斜里川上流にある「さくらの滝」だ。落差約4メートル、水量豊富な清流が川幅一杯に流れ落ちる滝は豪快かつ華麗な姿である。

さらに「さくらの滝」では6月上旬から8月にかけて、川を遡上してきたサクラマス(降海型のヤマメ)が滝を越えようと、激流の中で必死にジャンプする姿が見られる。子孫を残す産卵のために、少しでも上流に遡ろうとするサクラマスの姿は生命力に満ち溢れ、滝を訪れる人々から感嘆の声が上がるほど美しい。  

今や清里町の風物詩ともいえるサクラマスの遡上が見られる「さくらの滝」。しかし、2002年に清里町商工会が全国に名前を募集するまで正式名称がなかった。

滝の名前は全国から寄せられた約2,000通の応募中から選考の結果、ようやく「さくらの滝」と決定されたのである。

「無記名で記入する投票用紙があり『さくらの滝』と書いて応募しました。あの滝にはサクラマスが遡上し、さらに近くにはエゾヤマザクラの木もある。他には青葉の滝、ピョンピョンの滝などの名前が候補に上がったようですが、ぼくはこの名前しかないと思いました。」

「さくらの滝」の命名の経緯を話してくれた石田富雄さんは、町内でユースホステルを経営し、アウトドアガイドしても活躍中である。1992年にユースホステルを開業したころから「さくらの滝」の存在を知っていて、宿泊客に隠れた名所として紹介していたそうだ。

「かつては釣り人などわずかな人しか知らない滝でしたが、名前が決まったことによって、多くの人が見に行くようになりました。たとえ観光客が増えても、清流の美しさ、サクラマスが自然に遡上できる環境は守っていきたいですね。」という石田さんからは「さくらの滝」の命名者の一人として、滝への深い愛着が感じられた。


2010年06月07日

美幌町のクッシー騒動

<藻琴山の頂上から見た屈斜路湖、この風景の中にクッシーが存在していた?>

美幌町や美幌峠に多くの観光客を招くことになった「クッシー騒動」の発端になったのは、数人の中学生たちだった。1973年(昭和48)7月、北見市内から藻琴山に遠足に来ていた中学生が屈斜路湖を見下ろしながら、突然騒ぎ始めた。「あれはいったい何だ?」。中学生たちが指差す先には、大きくて怪しげな物体が泳いでいるような影があった。

「謎の巨大生物、目撃」のニュースは、やがて北海道のローカルな話題から全国的な話題へと発展し「ネス湖にネッシーがいるなら、屈斜路湖にはクッシーがいるかもしれない」と新聞やテレビが盛んに報道を始めた。

屈斜路湖の展望場所、美幌峠を有する美幌町は75年に町観光協会副会長だった前川市治朗さんが中心となって「クッシーを守る会」を結成。前川さんは「ネッシーとクッシー」なる唄まで作詞し「ビューティフル・サンデー」を大ヒットさせ、紅白歌合戦にも出場経験がある田中星児さんの歌唱でレコードとして発売された。

屈斜路湖は弟子屈町に位置する湖だが、美幌町は「クッシーを守る会」を結成し、さらに町内のあちらこちらにクッシーに似せたベンチやオブジェを設置する「クッシー百体運動」を展開したので、すっかり「クッシー=美幌町」のイメージが定着した。

79年にはクッシー効果で美幌町を訪れた観光客が百万人を突破。クッシーの形をした様々なおみやげものも飛ぶように売れ、わずかに数回目撃されただけの謎の巨大生物がもたらした特需には爆発的なものがあった。しかし、80年以降は目撃情報は皆無となり、突如として美幌町に舞い降りたクッシー騒動は徐々に沈静化しいく。

今では「クッシー」を口にする人も少なくなり、町内に残っているクッシーの形をした滑り台が、わずかに当時のなごりを伝えるだけである。

北海道では「クッシー」の他に洞爺湖で「トッシー」の目撃例があり、鹿児島県の池田湖にいるといわれている「イッシー」とあわせて「日本三大水棲獣」と呼ばれることもあるそうだ。(く)