2010年10月25日
幸運を招く清水、来運の水(根北峠)
<豊富に湧き出る水は気軽にコップにすくって飲める>
斜里市街から約10キロ、来運地区に湧き出る名水が来運の水である。
来運の水は1899年(明治32)に来運地区の開拓が始まって以来、地域住民の貴重な水源として親しまれてきた。
地下水ゆえに確証はないが、来運の水の源は斜里岳に降り積もった雪だといわれ、何十年もかけて地中に浸透し、伏流水として来運地区に湧き出ているとされている。
湧出量が毎分約5トンと豊かに湧き出る水で、水温も年間を通じて6℃前後と安定しているため、夏は冷たく、冬は凍らない名水として、今では斜里町内の人のみならず、周辺の住民や観光客にも愛されている。
名水ブームが始まってからは、水が湧き出る来運公園にはいつでもペットボトルやポリタンクで水を汲みに来る人が絶えない。
来運の水の人気の秘密は味だけではない。その名前から「幸運を招く清水」として珍重され、来運公園に置かれたノートには「この水を飲んで志望校に合格した」「宝くじに当たった」などと縁起の良い話が数多く書き留められている。
口当たりのよい水の味、水の湧き出るロケーション、そして日本人好みの縁起の良い名前。
来運の水は北海道の屈指の名水と呼ぶにふさわしいだろう。(く)
2010年10月18日
鮭の値段・大急ぎの買い取り
<水揚げされたばかりのサケ>
知床ウトロ港は秋鮭の水揚げが大変多い港である。昨年は約2万トンと言う、大量の鮭がこんなに小さな港に水揚げされた。
毎年、7月にはカラフトマスの定置網漁がはじまり、9月には秋鮭漁が始まる。港はまだ暗い早朝から活気づき、浜には船の入港をまつ人と、魚を運ぶトラックが列を作る。
港に入ってくる船の沈み方で、どれだけの魚を積んで戻ってきたのかが分かる。
知床半島では先端の岬までの間には15の経営体(地元では漁場という)が定置網を設置している。
ちなみに半島の途中で漁業作業をするための宿泊設備のある番屋と呼ばれる施設は、現在では漁船の高速化に伴い数が減り、3カ所が使われているだけとなっている。
さて、水揚げされた鮭はどのようにして値段が付けられ、買い取られていくのだろうか?
ウトロ漁港には組合の建物があり、その建物の前で満載された鮭が水揚げされる。水揚げされた鮭は10トン刻みで値段が付けられる。船から水揚げする傍らで、仲買人の入札が次々と行われ、値段が決まっていく。値段が決まるやいなや、大急ぎでトラックに積み込まれウトロの港を出ていくトラックの数はピーク時には早朝から夕方まで続くこともある。船の入港順に値段が付けられ、落札されていくために船は速く荷を積みながら戻ってこなくてはならない。
最近は鮮度が値段に反映するために、船は出向の前日に船底に氷を積んでいくそうだ。
各漁場の場所によって、とれる魚の雌雄、大きさに違いもあるようで、それぞれの船にお得意さんがついていることもあるそうだ。
一隻の船で最大40トンもの漁獲を水揚げしながら入札、落札というスピード感を、この時期、港では否応なしに感じることができる。ひしめき合う運搬車両、漁師のかけ声、落札を告げるマイクの音。
自然豊かな、知床の自然。その自然の豊かさが漁業という産業を発展させている。
9月から11月まで続く水揚げの様子は、欠かすことのできない知床の風物詩の一つである。(さ)
2010年10月12日
道内最大規模のアオサギコロニー
女満別の網走湖湖畔は道内でも最大規模のアオサギの繁殖地である。
1990年(平成2)の調査では実際に使用されている巣が349あった。JR石北線に沿って約53,000平方メートルという広大なエリアに営巣地が広がっている。
アオサギは集団で繁殖地を形成する特殊な鳥で、一般にこれはコロニーと呼ばれる。
アオサギはコウノトリ目サギ科で渡り鳥である。秋が深まると南方へ、いちばん遠くへは四国地方まで行き、翌年5月にまた女満別湖畔にもどってくる。
コロニーに入るとハルニレ、ヤチダモ、ハンノキなど、背の高い木々の上に、少し大型のこんもりとした鳥の巣があることに気が付く。この女満別のコロニーには約1,300の巣があるが、実際に使われていないものが多い。
網走には、網走湖の他に濤沸湖、藻琴湖、能取湖、サロマ湖などの海跡湖が多く、それに流れ込む小河川も多い。それがアオサギにとっては十分なエサ場となっている。
実際、カワガレイ、ウグイ、フナなど魚の種類も豊富である。これらの魚を狙ってか、湖の浅瀬にたたずむアオサギの姿をよく見かけるが、付近が見通しがいい、ということもアオサギの環境にはいいらしい。
これまで道内では最大のアオサギコロニーだった浦幌町稲穂では数年間土木工事が続いたため、現在ではコロニーそのものが放棄されて、アオサギの姿は1羽も見えない。
網走湖湖畔では近年、オジロワシが営巣するようになり、アオサギの脅威となっている。
網走市の動植物の研究家である山田訓二さんも何度もアオサギの幼鳥の死骸を見たことがある、という。
アオサギは2~3個の卵を生む。繁殖力は強いほうではないが、湖畔のコロニーは1947年に発見されて以来、エリアは広がっているという。
そして、どういう訳か少しずつ南へ移動している、ということがアオサギ研究会などの調査でわかった。
また、山田さんは網走地方は動植物にとって網走は北限と南限の境界線にあると力説する。
昆虫の仲間では樺太までといわれていたカラフトキリギリス、道南以南でしか見られないとされていたギンヤンマ、植物では北方系のハナタネツケバナ、南方系のゴキヅルが網走の濤沸湖などで観察されている。(ひ)

<アオサギ>

<アオサギのコロニー>

<カラフトキリギリス(山田訓二さん提供)>
2010年10月04日
ゴジラ岩の訴え

<オロンコ岩の上から見たゴジラ岩は町の中心>
本当の名前は・・・・なんだろう?「ローソク岩」という名前が付いているけれど、知床にあって和名の名前を言われてもそれが本名とは思えない。それほど知床の地名には先にこの地で暮らしていたアイヌの人たちのつけた名前がぴったりする。
地元では誰もが「ゴジラ岩」といつからか呼ぶようになった。誰でも知っている岩である。 確かに、じゃまな場所にある。正確には「じゃまになってきた」のである。
さらに、ゴジラの顔である部分が「顔がのっかっている」ように見え、持ち主である「財務省・管財局」は「もしかしたら落っこちるのではないか?」と危惧し、数年前に取り壊しを決定した。
「ゴジラ岩が壊される?」いままでそこにあって当たり前だった岩がなくなる・・。そこで改めて「ゴジラ岩」を見つめ直したウトロの人たちは、とても大切なことを知った。
ウトロの地名。どこから来たのだろうか?
ウトロ。このどこか外国のような音を感じる地名は、じつはやはりアイヌ語で「ウトルチクシ」(その間を我々が通る所)だった。
だからウトロ。で?その間ってどこ?という疑問でわかったゴジラ岩の存在。その間・・・・とはゴジラ岩(ローソク岩)と帽子岩(ゴジラ岩の隣)の間だった。村から浜へと行き来するのにこの岩の間を通っていた。そう、ゴジラ岩と帽子岩は実はウトルチクシだったのである。
ウトロの地名発祥の場所であった「ゴジラ岩」。壊される聞き、改めて自分たちの住む町にとっては大切なシンボルだったことに気づかされた。とりたてて名所にしよう、という動きもなかった程、この岩はここの地域にとけ込んでいたとも言える。
いろいろな名前で呼ばれてきた「ゴジラ岩」。今呼ばれている愛称に不満はないと思うけれど、きっと訴えてきたに違いない。
自分の足下を行き来する人たちがこの村で生活を始め、暮らしてきた歴史を。
そんな「ゴジラ岩」の訴えが、ウトロの町の人の心に届いてよかったと思う。そう、「ゴジラ岩」は壊されずにすんだのである。(さ)

<ゴジラ岩のスケッチ>





