2010年12月27日

氷岬58の灯台紀行


<ウトロ灯台の下がフレペの滝>

稚内の宗谷岬から根室の納沙布岬までの、オホーツク海沿岸には58の灯台がある。

これは流氷圏に位置する灯台だから、当然のように流氷の海に真向かう。

かつては、58の灯台どこからでも、流氷が見えていたというほど、オホーツク海全体に流氷の見える時期もあった。

氷岬とは、(こおりみさき)か、(ひょうこう)か、(ひょうきょう)か、いずれの読み方でもいいのだが、私はひびきの良さから(ひょうきょう)と読でいる。

この58の灯台を流氷期に訪ね歩いた。東オホーツクの網走から知床岬までの間にはつぎのような灯台がある。 

能取岬灯台、網走港北防波堤灯台、網走港東防波堤灯台、網走港南防波堤灯台、網走港島防波堤灯台、鱒浦港北防波堤灯台、宇登呂港北防波堤灯台、宇登呂港東防波堤灯台、宇登呂灯台、知床灯台の10灯台である。

このほかに斜里港灯台などがあるが海上保安庁管理のものでなく、町村や漁業組合で設置している灯台や標識である。 

ここでは、宇登呂灯台の場合を取り上げてみよう。宇登呂灯台はフレペの滝の真上にある。フレペの滝は川から落ちていない。垂直に切り立つ断崖の上部の岩間から吹き出し、したたり落ちているのだ。硫黄や鉄分を含んでいるという。 

真冬の宇登呂灯台に出かけた。網走航路標識事務所の定期巡回に同行して、歩くスキーを履いて到着し、らせん階段と垂直のはしごで屋上まで上った。

灯台は高さ20メートルだが、海から突き立っているので、そこは海抜142メートルの位置なる。 

眼下に流氷の海が見えた。光景は初めて流氷の海を見る人なら、海と感じることが難しいほどの氷原で、どこまでも広がるのは、一点の海面も見えない白い砂漠だった。 

灯台は1969年(昭和44)にできた、まだ新しいと言っていいもので、能取灯台と知床岬をむすぶ三角形の一点にあたる。

緑色の光が29キロ沖までとどく。停電などの場合は発電機が備えられていて自動的に動き、自動的に停まる。

すべてが自動運転されているのだが器械は人間の目で点検制御される。そのため冬でも毎月巡回が行われている。 

フレペの滝には別名がある。乙女の滝という。なんでもある人が恋をとげぬままの傷心をかかえて滝を訪れ、ほとばしる細い水の流れを乙女の滝と思いついたという。いつかそれが広まり、乙女の滝として定着した。

真偽は不明だが、恋の涙たけでなく知床開拓者の涙など、知床に生きて来た人々の口惜し涙の歴史があることも忘れたくない。(き)


2010年12月20日

濤沸湖で越冬する白鳥たちの物語

1972年(昭和47)の冬、私(菊地慶一)は、濤沸湖に居残り白鳥が2、3羽いるという話を新聞記事で見た。

居残り白鳥というのはシベリアから飛来した鳥が、不凍湖のある南へ行かずに、休憩地の濤沸湖で越冬をするものを言っていた。

その居残り白鳥は、内陸部の凍らない小川の側にいて、時折濤沸湖に飛来するのだろうとされていた。

白鳥が越冬するということが、話題になるほど珍しかったのだ。 

私は何度か、居残り白鳥を探して濤沸湖に出かけたが、そのうち首の曲がった一羽の白鳥を発見した。けがか、奇形か何らかの理由で障害をもったのだろうと推定された。

<濤沸湖の白鳥>

<白い点が白鳥>

私は越冬と障害の二つを結びつけて、一編の童話を書いた。これは2年後に本となった。

偏見を配慮して首のまがったとせず「ふたりの白鳥クラブ」(金の星社)という題名で出版された。小学生のふたりが、白鳥クラブを作って、この鳥を観察し、春になっての北帰行を見送るまでの物語であった。

個人的なことを書いて恐縮だが、濤沸湖で越冬する白鳥がいるということが、話題になるほどの自然環境、生態だったことを説明したのである。

現在はどうか。かつては4,000羽以上の飛来があったが、近年では秋に約2,000羽の白鳥が飛来し、やがて東北地方へ向かい翌年3月には舞い戻り、5月になるとシベリアへ飛び立っていく。そのうち数百羽の白鳥が越冬している。

白鳥公園近くの水面が完全結氷することが少なくなり、餌となるアマモをとることができるためと思われる。 

汽水湖の濤沸湖は、周囲28キロメートル、平均水深1.1メートルと浅く、生息する魚類も多く湖岸の植生も豊かで、鳥類は235種も見られる。アイヌ語のチカンプトウ(鳥がいつもいる湖)そのものである。 

そのため、2005(平成17)11月に濤沸湖はラムサール条約に登録された。水鳥の生息地として国際的に重要な湿地として認められたのだ。

だが、登録と重なって、温暖化の影響を受けて濤沸湖の自然環境、鳥類の生態に変化が現れる杞憂をかかえているというのは、皮肉である。 

網走を代表する大きな財産として、濤沸湖の将来を見守って行かなければならない。(き)


2010年12月13日

全国の湖で元気に泳ぐ網走湖のワカサギ

冬になるとバラエティ番組でよく見かける、結氷した湖の上でのワカサギの穴釣り。

タレントが得意げにカメラの前に差し出すワカサギが、たとえ本州の湖で釣り上げられたものであっても、元をたどれば網走湖産のワカサギである可能性が高いことをご存知だろうか。

網走湖のワカサギの水揚げ量は、毎年全国の5位以内に入るほどの多さだが、ワカサギの種苗卵の出荷量は全国一である。

網走湖のワカサギの氷下漁は3月下旬まで続けられ、4月になると産卵のために川に遡上してきたワカサギの捕獲作業が始まる。

人口採卵されたワカサギの卵は網走湖近くのふ化施設に移送された後、稚魚として再び放流されるが、一部は人工種苗卵として全国の湖へと出荷されていく。

出荷先は長野県の青木湖や木崎湖、関東地方の相模湖や河口湖から滋賀県にある余呉湖にまで及んでいる。

網走湖で生まれた小さな小さな生命が、日本全国の湖でワカサギとして成長し、元気に泳ぎまわっているのだ。(く) 

 

 
<ワカサギの穴釣りは網走湖の冬の風物詩>

2010年12月07日

喜びも悲しみも90年の能取岬灯台

能取岬灯台は1917年(大正6)10月に初めて灯がともった。

それまでは根室のノサップ岬灯台から、稚内の宗谷岬灯台までの間には他に灯台がなかった。

それから90年間ひたすら灯をともし、オホーツク海の道しるべの役目を果たしてきたのが能取岬灯台である。 

八角形の白黒しま模様の灯台は地上から21メートルあり、海面から57メートルある。光度110,000カンテラで、36キロ沖まで届くという。

<能取岬灯台>

かつては滞在勤務といって看守と呼ばれた灯台職員は、家族共々現地の官舎に暮らしたが、1980年(昭和55)に滞在勤務が廃止され、無線制御となり、1996年から灯台電源は自然エネルギーの太陽電池に変わった。

そのため灯台の明かりは冬期間の流氷期は消灯されていたが、現在は四季を通して点灯されている。

昔は網走市内から15キロも離れていたため、冬は馬そりを使い一カ月に一回しか外出できなかったから、冬の間の食糧を確保しての冬ごもりだった。 

1923年(大正12)の「職員傷病記録」という書類には、「心臓衰弱、大山看守妻は38歳出産後健康優れず心臓衰弱にて死亡す」とある。

また「大正12年6月脳神経衰弱A看守、精神に異常を来し断崖より投身自殺せり」と記入されている。 

まさに灯台を守るというのは喜びも悲しみも幾年月という困難な時代だったのである。

世の中の超スピードの変化に合わせて、灯台も変化してきたが、人間が生きる日々の悲喜は変わっていない。

それをいちばん良く知っているのが、ひとり立ちつくす灯台自身なのではないのか。 

厳冬期雪に覆われた能取灯台の付近に立って、眼下のオホーツク海一面を埋める流氷原を眺めて欲しい。冬のオホーツクの原点はこの風景がいちばんである。(き)