2011年07月25日

東藻琴がチーズの街になるまで


<乳酪館>

1979年(昭和55)北海道だけではなく全国の酪農家が生産調整という苦しい事態に直面していた。

牛乳の生産過剰が続き、東藻琴村でも全村で1日に1トンの牛乳を赤い食紅を入れて捨てていた。

この当時、村の農家の約40%が酪農を経営していた。

当然だが、役場は強い危機感を抱いていた。

そこで、1980年(昭和56)余った牛乳をなんとか活用する道を考えるプロジェクトチームを組織した。

東藻琴版プロジェクトXの始まりである。

チームには役場職員のほかに道の農業改良普及員などが名を連ねたが、東藻琴農業高校(当時)の鈴木、大塚、山本の3人の教諭が加わった。

結果的にこの3人の知識と情報網が成功のカギになる。

牛乳を加工して何を作るか、で議論は何日も続いた。

牛乳豆腐、牛乳クッキーなど様々なアイデアが出たなかで、チーズを作ろう、という案がメンバーの気持ちを動かした。

その日から開いている公営住宅の1棟をチーズ研究のための工房に改造した。

予算がないので器材も他で使っていた古道具を調達してくるという有様で、連日仕事が終わってからチーズづくりを続けた。

余市町でやっていたチーズ工房へ出かけて研究もしたが、いちばんの難関はチーズとして発酵させる白カビ菌の選定だった。

最終的に酪農学園大学の助言で菌を決めた。チーズづくりは味噌づくりと同じで、ちょっとした環境の違いで影響がでるのだという。


<乳酪館でのチーズ製造の様子>

こうして1982年(昭和57)にカマンベールチーズの試作品が完成。

翌1983年にはパッケージも決まって販売を開始した。

当初は知名度も低く、なかなか売れ行きが伸びなかったが、村では乳酪館という新たな施設を作り、ここでPRを兼ねたチーズ工房を開設した。

現在ではカマンベールのほか、ゴーダーチーズ、チェダーチーズ、スモークチーズなどを製造している。

この施設ではチーズ酵母以外の雑菌には神経を使っていて、内部に入るには厳重な殺菌が必要。朝食に納豆を食べた人は原則ダメである。

それくらい菌にはうるさい。

乳酪館ではチーズのほか、アイスクリーム、ソフトクリームも販売している。

なかでも、63度の低温殺菌牛乳が瓶入りで売られていて、これが濃厚な牛乳本来の味だというので静かな人気を呼んでいる。

また、この牛乳を使ったカマンベール・ソフトクリーム(300円)が5~10月の期間限定商品だが絶対おすすめの味だ。

もちろんビン入りの牛乳は格別の味だ。(ひ)


<チーズ製品>

2011年07月19日

400年を生き抜く岬のヤチダモ

岬のヤチダモとして名高い巨樹は、能取半島の国有林の、道端から100メートルほど入った沢の中に立っている。

樹齢が400年というのは、あくまで外見からの推定だ。

<樹齢400年のヤチダモ>

そのヤチダモは道東随一の長寿と言われているが、400年近くも生き延びた理由が三つある。

一つは1896年(明治29)の岬付近の山火事の難を危うく逃れたのだ。

ヤチダモの葉は霜に弱いので、六月中旬にならないと芽を吹かない。芽吹く前の火事だったため、火勢をうまく避けることができたのだ。

二つ目は、どうやら幹の中に空洞があるためらしい。

開拓期、能取半島の森から船や橋の建材として樹木が伐り出されたが、この樹は伐採からはねられて命拾いをしたのだ。

空洞は「打音判定」で調べる。

マサカリで幹の樹皮を削りとり、マサカリの背でどんと叩き、音の響きに耳を澄ます。

この方法は現在でも行なわれているという。

三つ目はフクロウのお守りだ。

アイヌ伝説には、森の中で一ばんの背高ノッポのヤチダモの木の上で、フクロウが人間界に悪魔が近づくのを見張っているという話がある。

フクロウがこの木のさまざまの災難を避けてくれたのだ。

この三つの話は私の推定だが、見事な樹相は不思議な運命と神秘の力を感ぜずにはいられない。

樹高30メートル、幹回り460センチの樹肌にふれると、生命の鼓動と歴史の語りが聞こえてくる思いがして、ただ、頭を垂れた。

正確に測定することはできませんかと問うと、森林センターの岩井孝司さんは「ドリルで穴を開け標本を採り出す方法はありますが、高齢の樹にとって身体に負担がかかりますから」と言った。

その優しさがうれしかった。(き)


2011年07月11日

空中庭園のオロンコ岩

 

<オロンコ岩の上からは知床の眺めも最高>

大きな岩。アイヌ語で「サマッケワタラ」(横になっている岩)また、「オロクシュマ」(そこに座っている岩)という意味がある。

岩というより山に近いオロンコ岩の階段を、足下に気をつけながら登ってみる。

途中、落石防止のネットが張られ、手すりも設置されているが、急峻な階段。休みながら足下をのぞくと、青い海が真下に広がる。

高さ58メートル。 登りつめるとウトロの街と、知床連山が広がり最高の景色が楽しめる。

雪の季節は滑落の危険があるのでおすすめはできない。

できれば、花の季節に登ってほしい。

 



小さな遊歩道がついている。夏の季節には草花に覆われて散策道路も見分けがつかなくなるほど植物の多い岩の上。

実は、ここに知床のほかの地域でもなかなか見ることのできなくなった貴重な植物が残っている。

残っている・・そう。この岩の上だったから「残っている」かつては知床の崖の上に繁茂していた植物がたくさんある。

たとえば、タンポポ。今は外来種のセイヨウタンポポしか目にしなくなってしまったが、ここには昔からここにあったエゾタンポポが残っている。

さらに薄紫の花を咲かせるモイワシャジンや、日本の香草であるイブキジャコウソウなど、かつてはこのウトロ周辺にも繁茂していたであろう植物が、ここにはたくさん残っている。

一方で、今のオロンコ岩の状態からは信じられない話もある。30年ほど前にはこの岩の上には樹木もあったという。

「シンパク」(ミヤマビャクシン)ヒノキ科・という針葉樹があり、当時は園芸に珍重されたのだという。

そこでこのオロンコ岩でも盗掘が行われた。

しかし、この高さから引き下ろすことができず、海側に船をつけてロープで下ろして持ち去っていた・・という話が残っている。

現在残っているシンパクは、本当に急峻な箇所だけ。

今のオロンコ岩の状態からシンパクの森の想像はできない。

しかし、故意に持ち去らなくとも植物の植生変化はデリケートである。

いつまでもこのオロンコ岩の上の庭園が消えないことを願っている。(さ)

 < 遠景のオロンコ岩、右が三角岩 >


2011年07月04日

北海道の森の特徴-針広混交林と倒木更新(峠全般)

<藻琴山中腹から望む原生林>

北海道の紅葉の特徴は赤や黄色に色づいた山肌に、針葉樹の常緑が混じることである。

三色の葉のグラデーションとスケールの大きな森林の広がりが、道内各地にある峠の紅葉の美しさを際立たせる。

温帯から亜寒帯への移行地帯である北海道の森林の特徴は針広混交林であるということ。

針広混交林の中では、亜寒帯性の針葉樹と温帯性の広葉樹が共生することで、変化にあふれた豊かな森が形成される。

種の多様性が特徴でもある針広混交林の中では様々な生命が生まれ、北海道の豊かな自然を作ってきたのである。

そんな針広混交林の中を歩いていると、直径1メートルほどの針葉樹の大木が、まるで植林でもされたかのように一直線に並んでいる風景に出会うことがある。

これは倒木更新によって、木が世代交代をした様子を示している。

倒木更新とは倒木の上で種子を発芽させ、幼木を成長させていくこと。

北海道で主にトドマツ、エゾマツ、アカエゾマツなどの針葉樹が倒木更新によって、木の世代交代をしている。

自然条件の厳しい北海道では、種子を地面で発芽させて成長させていくのが難しく、発芽しても地中菌によって暗色雪腐れ病になってほとんどの幼木が枯れたり、クマザサが生い茂った林床では、太陽光が届かずに光合成ができなかったりする場合が多い。

その点、倒木の上は地中菌からの距離もあり、クマザサよりも高い位置で幼木が生長できるので、地面よりもはるかに環境が良く、微生物などによって分解の始まった倒木は養分と水分を適度にふくみ、木の生長を助けていく。

北海道の森の中では、倒れた老木が芽を出したばかりの幼木を守り育てることで木の世代交代がひっそりと長い時間をかけて進められている。

木が根付いた倒木は、やがて土に返っていくが、その姿のなごりを直線に並んだ樹木の列に残すのだ。(く)