<?xml version="1.0" encoding="UTF-8" standalone="yes"?>
<rdf:RDF xmlns="http://purl.org/rss/1.0/"
  xmlns:dc="http://purl.org/dc/elements/1.1/" xmlns:rdf="http://www.w3.org/1999/02/22-rdf-syntax-ns#">
  <channel rdf:about="http://www.scenic-okhotsk.com/100story/rss">
    <title>東オホーツク百の話</title>
    <description>東オホーツク１市５町のおはなしです。</description>
    <link>http://www.scenic-okhotsk.com/100story/</link>
    <items>
      <rdf:Seq>
        <rdf:li rdf:resource="http://www.scenic-okhotsk.com/100story/326.html"/>
        <rdf:li rdf:resource="http://www.scenic-okhotsk.com/100story/284.html"/>
        <rdf:li rdf:resource="http://www.scenic-okhotsk.com/100story/305.html"/>
        <rdf:li rdf:resource="http://www.scenic-okhotsk.com/100story/300.html"/>
        <rdf:li rdf:resource="http://www.scenic-okhotsk.com/100story/286.html"/>
        <rdf:li rdf:resource="http://www.scenic-okhotsk.com/100story/254.html"/>
        <rdf:li rdf:resource="http://www.scenic-okhotsk.com/100story/307.html"/>
        <rdf:li rdf:resource="http://www.scenic-okhotsk.com/100story/288.html"/>
        <rdf:li rdf:resource="http://www.scenic-okhotsk.com/100story/340.html"/>
        <rdf:li rdf:resource="http://www.scenic-okhotsk.com/100story/308.html"/>
      </rdf:Seq>
    </items>
    <dc:date>2010-07-28T09:45:00+09:00</dc:date>
  </channel>
  <item rdf:about="http://www.scenic-okhotsk.com/100story/326.html">
    <title>エゾシカとのおつきあい方法・知床の場合（その1）</title>
    <link>http://www.scenic-okhotsk.com/100story/326.html</link>
    <description>&lt;p&gt;&lt;img src="/userImages/100story_07_14_01.jpg" alt=" " width="450" height="299" /&gt;&lt;/p&gt;&lt;p&gt;＜道路にも出てきて危険なシカだが、でも可愛い困りもの＞&lt;/p&gt;&lt;p&gt;エゾシカが増えている。知床に限ったことではなく全国的にその数の増加が問題になっている。そんな中でも知床のエゾシカ問題は深刻。&lt;/p&gt;&lt;p&gt;でも、ドライブ途中に彼らの姿を見つけたならばやはり楽しい。&lt;/p&gt;&lt;p&gt;一年中、知床に住むエゾシカはそれぞれの季節で様子が違う。&lt;/p&gt;&lt;p&gt;春は大きなオスのシカの頭の上にある角がオデコの上からポロリと落っこちる。毎年、毎年あれほど大きな角が何故生え替わるのだろう？植物しか食べていない彼らなのに、大きなものでは両方の角で3ｋｇ以上もあるのだから不思議でならない。雪が解けた道路沿いには驚くほどたくさんのエゾシカが集まり、道路斜面の草を食べている。毎年、エゾシカとの衝突事故が多いのもこの季節。&lt;/p&gt;&lt;p&gt;夏になると、きれいな色に変わり、文字通りの鹿子模様。この春に生まれた子鹿も目に付き、緑の中に映えて美しい。&lt;br /&gt;&lt;/p&gt;&lt;p&gt;秋は彼らの繁殖行動の季節。いつの間にかきれいな鹿子模様は消えて、冬毛に移る。オスのシカがメスを追いかけ回すのも秋。この季節にしか聴くことの出来ないエゾシカの声がある。「ラッティングコール」と言ってオスがメスを呼ぶ声である。秋、山の方に耳を傾けるともの悲しいような、振り絞るような声が響く。「奥山に紅葉踏み分け鳴く鹿の声きくときぞ秋はかなしき」古今集に詠われているこの和歌もオスのエゾシカの声を詠んだもの。&lt;/p&gt;&lt;p&gt;運が良かったらオス同士が角をつき合わせてメスを奪い合う姿も見ることが出来るかもしれない。&lt;/p&gt;&lt;p&gt;そして、冬。冬は彼らにとっては命をつなぎ生きていくことが過酷な季節。深い雪に覆われた知床に彼らの食料になる植物は見つからず、深い雪を掘りながら、あるいは南斜面に、そして森の中の樹木の皮を食べて生きていかなければならない。&lt;/p&gt;&lt;p&gt;厳しい冬を越すことが出来ずにたくさんのエゾシカが命を落とす。それも、知床の自然の一面と捉えてほしい。流氷の美しい海を前に、彼らは必死で食べ物を探す。驚くほどの数のエゾシカがこうして生きている。&lt;/p&gt;&lt;p&gt;単に可愛いだけではない、生きる姿と増えすぎたエゾシカの知床の現実をそれぞれの季節で見つめてほしい。（さ）&lt;/p&gt;</description>
    <dc:creator>東オホーツク百の話</dc:creator>
    <dc:date>2010-07-28T09:45:00+09:00</dc:date>
  </item>
  <item rdf:about="http://www.scenic-okhotsk.com/100story/284.html">
    <title>1日1組限定の小さな宿</title>
    <link>http://www.scenic-okhotsk.com/100story/284.html</link>
    <description>&lt;p&gt;&lt;img src="/userImages/100story_02_11.jpg" alt=" " width="450" height="338" /&gt;&lt;/p&gt;&lt;p&gt;＜ファームインゆい＞&lt;/p&gt;&lt;p&gt;道々網走川湯線で大空町東藻琴市街地に少し入ったところに、1日1組限定の小さな宿がある。その名も「プチファームゆい」。&lt;/p&gt;&lt;p&gt;2001年4月に高木国広さん夫妻が始めた、農業体験ができるファーインである。高木さんは東藻琴村生まれの、いわゆるＵターン組。20数年間本州で小学校の教員生活をして、故郷に戻ってきた。　&lt;/p&gt;&lt;p&gt;家業が農家だったとはいえ、本格的な農業は素人に近い。家業を継いだ兄や近所の農家の人たちに指導してもらいながらのスタートだった。&lt;/p&gt;&lt;p&gt;今ではメロン、トマト、ジヤガイモ、カボチャ、トウキビなど、なんと80種類の野菜を栽培するまでになった。安全と美味しさを求めて「理想は有機・無農薬栽培と思っていますが、それに近づける努力をしてますが、何度も現実の難しさにぶつかってます」という高木さん。　&lt;/p&gt;&lt;p&gt;収穫した野菜はもちろんファームインの食卓にのぼるが、網走市内で毎週即売所を開いたり、最近ではインターネットでの予約販売もするようになった。&lt;/p&gt;&lt;p&gt;そのせいもあって、昨年はメロン、トマトは完売してしまった。また、新しい試みとして、付近の農家3軒でジャムづくりも始めた。プラム、リンゴ、ウメ、山ブドウ、プルーンの5種類を完成させ、これも通信販売で取り扱うようにした。&lt;/p&gt;&lt;p&gt;&lt;img src="/userImages/100story_02_11_2.jpg" alt=" " width="450" height="338" /&gt; &lt;/p&gt;&lt;p&gt;＜ファームインゆいの高木国広さん＞&lt;/p&gt;&lt;p&gt;ファームインゆいの南に面した明るい食堂のすぐ近くには野菜畑が広がる。そして、その向こうにはくっきりと藻琴山のなだらかな稜線が見える。「この食堂も最初は自分たちのための、農作業から帰った後に休む土間として考えていたんですよ」と言う高木さん。&lt;/p&gt;&lt;p&gt;最初の計画には宿泊業は入っていなかった。だから余分な客室のスペースも作らなかったのだという。1日1組限定で、定員が8名ほどという理由がそこにある。おもしろい小さな宿である。（ひ）&lt;/p&gt;&lt;p&gt;099-3233　大空町東藻琴500-11&lt;br /&gt;TEL.FAX　0152-66-2680&lt;br /&gt;宿泊料金/1泊2食付き 5,500円（大人）&lt;br /&gt;&lt;a href="http://www.h6.dion.ne.jp/%7Efarmyui/" target="_blank"&gt;HP&lt;/a&gt; &lt;br /&gt;&lt;/p&gt;</description>
    <dc:creator>東オホーツク百の話</dc:creator>
    <dc:date>2010-07-22T09:25:00+09:00</dc:date>
  </item>
  <item rdf:about="http://www.scenic-okhotsk.com/100story/305.html">
    <title>宇宙を感じることのできる展望台</title>
    <link>http://www.scenic-okhotsk.com/100story/305.html</link>
    <description>&lt;p&gt;&lt;img src="/userImages/100story_06_02_01.JPG" alt=" " width="450" height="300" /&gt; &lt;/p&gt;&lt;p&gt;＜展望台から斜里岳を眺める、眼下にはオートキャンプ場が見える＞&lt;/p&gt;&lt;p&gt;以前は木の電柱や廃材を利用して作られた、見た目が少々危なっかしい展望台だったが、2001年（平成13）に建て替えられ、清里町の新名所として注目を浴びているのが宇宙展望台である。&lt;/p&gt;&lt;p&gt;清里オートキャンプ場に隣接した高台にある宇宙展望台のネーミングの理由は、晴れた夜にここに登ると頭の上に満天の星空が広がり、こぼれ落ちてきそうな星々を見ていると、やがて宇宙が身近に感じられるようになることに由来するとされている。&lt;/p&gt;&lt;p&gt;しかし、この展望台は夜ではなくても昼間の眺望もすばらしい。清里町の特徴的な風景である防風林に囲まれた、パッチワークを貼り付けたような畑の広がりを俯瞰でき、さらに斜里岳から続く知床連山の連なりまでもが一望にできるのである。&lt;/p&gt;&lt;p&gt;夜には宇宙の深さを、昼には北の大地の広がりを感じることのできる宇宙展望台は、その名の通りスケールの大きな光景が広がる清里町随一のビューポイントである。（く）&lt;/p&gt;</description>
    <dc:creator>東オホーツク百の話</dc:creator>
    <dc:date>2010-07-12T09:51:00+09:00</dc:date>
  </item>
  <item rdf:about="http://www.scenic-okhotsk.com/100story/300.html">
    <title>屋根にハマナスが咲く牧舎</title>
    <link>http://www.scenic-okhotsk.com/100story/300.html</link>
    <description>&lt;p&gt;&lt;img src="/userImages/100story_05_05_1.jpg" alt=" " width="450" height="299" /&gt;&lt;/p&gt;&lt;p&gt;＜原生花園の展望牧舎＞&lt;/p&gt;&lt;p&gt;小清水原生花園は網走国定公園のなかでも最も有名なスポットである。オホーツク海と海岸線に続く砂丘と、雄大な風景と多くの花々で、年間約80万人の観光客を魅了している。&lt;/p&gt;&lt;p&gt;ここが網走国定公園として指定されたのは1958年（昭和33）のことだが、植生の保存には関係者の長年の苦労が支えになっている。&lt;/p&gt;&lt;p&gt;1961年（昭和6）にフタトゲチマダニの大量発生が確認されて以来、北大を中心に調査が続けられた。ハマナス、ヒオウギアヤメ、エゾスカシユリなどが少しずつ外来の牧草に浸食されているという現状が指摘された。&lt;/p&gt;&lt;p&gt;また、1973年には近くを走る釧網線が蒸気機関車からジーゼル起動車にかわった。それまでは蒸気機関車からでる煙と火の粉が野火を起こし害虫の発生をおさえていた。&lt;/p&gt;&lt;p&gt;小清水町では北大の秋山茂雄教授の研究や伊藤浩司教授らの助言で、1983年（昭和58）4月に初めて原生花園の火入れを試験的に実施した。前年の秋に枯れた雑草があると、その下から新しい花の芽が出づらいということと、何度も大量発生するダニの駆除が目的だった。&lt;/p&gt;&lt;p&gt;その後、1993年（平成5）からは北海道が中心となり、小清水町や網走営林署など、それに辻井達一氏らの学識経験者で風景回復対策協議会を組織して野焼きの効果を研究した。&lt;/p&gt;&lt;p&gt;現在では原生花園を4つのエリアに分け、毎年4分の1ずつ火入れをしている。だから1つのエリアは4年ごとに焼かれるということになる。また、これまで中止していた湖畔側の町営牧場に馬の放牧も再開された。馬に園内にある雑草を食ってもらおう、という発想である。&lt;/p&gt;&lt;p&gt;オホーツク海岸の砂丘草原は面積97ヘクタールすべてが国有林（保安林）で、濤沸湖側の湿地草原は小清水町が離農跡地を40ヘクタールを購入し、小清水町農業協同組合所有地の126ヘクタールを借り受けて、これに民有地13ヘクタールを加えて179ヘクタール。この179ヘクタールの湿地草原と97ヘクタールの砂丘草原を合わせた276ヘクタールが小清水原生花園となっている。 ここで咲く花は40種類といわれている。&lt;/p&gt;&lt;p&gt;小清水町では1996年、町営牧場にこれまであった牧舎を4,800万円を投じて建て直した。景観に配慮した木造の建物は牧歌的な風景によくなじんでいる。もちろん一般の立入自由で南側には2階部分にテラス風の展望デッキもある。&lt;/p&gt;&lt;p&gt;この牧舎の屋根は防水加工が施され、付近の牧場の土をそのままかぶせられている。土のなかには80株のハマナスやエゾスカシユリの球根もそのまま移植されていて、季節になると牧舎の屋根には赤や黄色の花を咲かせている。（ひ）&lt;/p&gt;&lt;p&gt;&lt;img src="/userImages/100story_05_05_2.jpg" alt=" " width="200" height="150" /&gt;&lt;/p&gt;&lt;p&gt;＜火入れのようす＞&lt;/p&gt;</description>
    <dc:creator>東オホーツク百の話</dc:creator>
    <dc:date>2010-07-05T14:53:00+09:00</dc:date>
  </item>
  <item rdf:about="http://www.scenic-okhotsk.com/100story/286.html">
    <title>メルヘンの丘の黒沢伝説</title>
    <link>http://www.scenic-okhotsk.com/100story/286.html</link>
    <description>&lt;p&gt;&lt;img src="/userImages/100story_02-50.jpg" alt=" " width="450" height="295" /&gt;&lt;/p&gt;&lt;p&gt;＜黒澤明と大江さん＞&lt;/p&gt;&lt;p&gt;世界のクロサワの映画「夢」の第５話「鴉」のロケ地があるのが、女満別町の国道39号線から2キロほど農道を入った丘陵の朝日地区である。&lt;/p&gt;&lt;p&gt;炎の画家ゴッホが描いた「鴉のいる麦畑」の作品と同じ場所を探していた黒澤明の目にとまったのが朝日ケ丘の麦畑だった。&lt;/p&gt;&lt;p&gt;凝り性の黒澤はここにゴッホの絵のようにカラスを乱舞させたいと思った。女満別の麦畑にはカラスがいない。だが、なんとしても300羽のカラスを用意してくれという指示が届いた。当時女満別町役場の観光課長だった谷本二郎さんは頭をかかえた。何せ世界のクロサワの頼みである。&lt;/p&gt;&lt;p&gt;こんな時頼りになるのが女満別町で有名な便利屋、大江省二さんだった。できないことがないというのが売りの大江さんは、来る日も来る日も近郊を走り回りカラス捕りを続け、とうとう40日をかけて300羽を集め、カラス小屋を作って飼育した。&lt;/p&gt;&lt;p&gt;いよいよロケ本番の日が来て、木箱からカラスを放つと、見事に金色の麦畑の上を乱舞して飛び立った。「OK！カット」黒沢の声がメガホンから響くと、スタッフから拍手がわき起こったという。「大成功！ありがとう」黒澤が大江さんの所へやってきて手を握った。「いやぁ、なんもなんも」と言いながら、さすがの大江さんもちょっと照れた。&lt;/p&gt;&lt;p&gt;こうして黒沢、大江伝説がひとつ生まれた。今朝日ケ丘公園には展望台やパークゴルフ場が設けられ、黒澤の愛馬だった夢号が野営牧野に飼われている。麦畑とひまわり畑が広がるメルヘンの丘は、女満別町を象徴する場所になっている。（き）&lt;/p&gt;</description>
    <dc:creator>東オホーツク百の話</dc:creator>
    <dc:date>2010-06-28T09:40:00+09:00</dc:date>
  </item>
  <item rdf:about="http://www.scenic-okhotsk.com/100story/254.html">
    <title>誰もが納得の「感動の径」がある</title>
    <link>http://www.scenic-okhotsk.com/100story/254.html</link>
    <description>&lt;p&gt;&lt;img src="/userImages/100story_01_22_1.jpg" alt=" " width="450" height="299" /&gt;&lt;/p&gt;&lt;p&gt;＜感動の径ウォークでヒマワリ畑を歩く＞&lt;/p&gt;&lt;p&gt;何が感動的と言っても、「感動」という言葉を冠した観光路があることに感動してしまう。感動の径というネーミングを思いついた人の、大胆、意識過剰、陶酔にあきれ果てたのだが、網走市ではだれも異をとなる人はいない。なぜだろうか。実際にここを歩いて見ると、誰もがたしかに感動するからである。&lt;/p&gt;&lt;p&gt;感動の径は、網走市内から天都山を経て東京農大の前を通り、中園分岐を通り、藻琴駅前に出るコースらしいが、女満別から網走東部にかけての大丘陵地帯は、どこから歩いても感動の径と言って良いだろう。&lt;/p&gt;&lt;p&gt;私も何度も歩いた。秋の「感動の径ウオーク」をはじめ、女満別から「松浦武四郎の道を歩く」「黒澤映画ロケ地を歩く」「キガラシとヒマワリの道へ」「畑作三品（小麦、ビート、馬鈴薯）の農村を歩く」などなど、小さなテーマを作って仲間と歩いた。また、冬の流氷期に、この丘陵から眺めるオホーツク海と知床の展望もすばらしい。歩くスキーの醍醐味もここにはある。&lt;/p&gt;&lt;p&gt;歩き方はさまざまのアプローチの方法がある。催しの時だけでなく、三三五五人々が歩いていて、ふれあい話し合いの場所になっている姿が本当の意味の「感動の径」だろうと思っている。名付け親は、名鉄観光のＮさんだと伝えられている。網走付近のツアーを企画した時、天都山から鱒浦の海岸までの丘陵ウオーキングを組み入れ、解説も加えず景色を堪能してもらったのが好評で、それが発端となり、網走市、観光協会の協力によって「感動の径」が定着したと語っている。&lt;/p&gt;&lt;p&gt;観光業者というか、地元でなく外部の人の目で、この丘陵の魅力を発掘したというのは、新鮮な感動であり、虚をつかれたという感じがする。「感動の径」には観光地とは何か、という基本があるように思える。食べ物とイベントなど定番的もてなしから、脱皮しなければならないことを教えている。&lt;/p&gt;&lt;p&gt;いつか「感動の径ウオーク」に参加したとき、間もなく東京へ出て働くという網走生まれの女性が、この景色は私にとって一生忘れられないものなるでしょう、と感動をこめて語っていたのだった。富良野や美瑛に勝る広大なスケールの丘陵、世界自然遺産、知床連峰を遙かに望む景観は、東オホーツクに住む私たちの貴重な財産である。日本ウオーキング協会選定の「美しい日本の歩きたくなるみち500選」に選ばれたのも当然である。（き）&lt;/p&gt;</description>
    <dc:creator>東オホーツク百の話</dc:creator>
    <dc:date>2010-06-21T10:09:00+09:00</dc:date>
  </item>
  <item rdf:about="http://www.scenic-okhotsk.com/100story/307.html">
    <title>サクラマスが遡上する、さくらの滝</title>
    <link>http://www.scenic-okhotsk.com/100story/307.html</link>
    <description>&lt;p&gt;&lt;img src="/userImages/100story_06_04_01.JPG" alt=" " width="450" height="338" /&gt;&lt;/p&gt;&lt;p&gt;&amp;lt;豪快かつ華麗な姿のさくらの滝、この落差をサクラマスは飛び越えようとする&amp;gt;&lt;/p&gt;&lt;p&gt;清里町の新名所として近年多くの観光客が足を運ぶようになった場所が、斜里川上流にある「さくらの滝」だ。落差約4メートル、水量豊富な清流が川幅一杯に流れ落ちる滝は豪快かつ華麗な姿である。 &lt;/p&gt;&lt;p&gt;さらに「さくらの滝」では6月上旬から8月にかけて、川を遡上してきたサクラマス（降海型のヤマメ）が滝を越えようと、激流の中で必死にジャンプする姿が見られる。子孫を残す産卵のために、少しでも上流に遡ろうとするサクラマスの姿は生命力に満ち溢れ、滝を訪れる人々から感嘆の声が上がるほど美しい。 　&lt;/p&gt;&lt;p&gt;今や清里町の風物詩ともいえるサクラマスの遡上が見られる「さくらの滝」。しかし、2002年に清里町商工会が全国に名前を募集するまで正式名称がなかった。&lt;/p&gt;&lt;p&gt;滝の名前は全国から寄せられた約2,000通の応募中から選考の結果、ようやく「さくらの滝」と決定されたのである。&lt;/p&gt;&lt;p&gt;「無記名で記入する投票用紙があり『さくらの滝』と書いて応募しました。あの滝にはサクラマスが遡上し、さらに近くにはエゾヤマザクラの木もある。他には青葉の滝、ピョンピョンの滝などの名前が候補に上がったようですが、ぼくはこの名前しかないと思いました。」&lt;/p&gt;&lt;p&gt;「さくらの滝」の命名の経緯を話してくれた石田富雄さんは、町内でユースホステルを経営し、アウトドアガイドしても活躍中である。1992年にユースホステルを開業したころから「さくらの滝」の存在を知っていて、宿泊客に隠れた名所として紹介していたそうだ。&lt;/p&gt;&lt;p&gt;「かつては釣り人などわずかな人しか知らない滝でしたが、名前が決まったことによって、多くの人が見に行くようになりました。たとえ観光客が増えても、清流の美しさ、サクラマスが自然に遡上できる環境は守っていきたいですね。」という石田さんからは「さくらの滝」の命名者の一人として、滝への深い愛着が感じられた。&lt;/p&gt;</description>
    <dc:creator>東オホーツク百の話</dc:creator>
    <dc:date>2010-06-14T10:23:00+09:00</dc:date>
  </item>
  <item rdf:about="http://www.scenic-okhotsk.com/100story/288.html">
    <title>美幌町のクッシー騒動</title>
    <link>http://www.scenic-okhotsk.com/100story/288.html</link>
    <description>&lt;p&gt;&lt;img src="/userImages/100story_03_01_01.JPG" alt=" " width="450" height="338" /&gt;&lt;/p&gt;&lt;p&gt;＜藻琴山の頂上から見た屈斜路湖、この風景の中にクッシーが存在していた？＞&lt;/p&gt;&lt;p&gt;美幌町や美幌峠に多くの観光客を招くことになった「クッシー騒動」の発端になったのは、数人の中学生たちだった。1973年（昭和48）7月、北見市内から藻琴山に遠足に来ていた中学生が屈斜路湖を見下ろしながら、突然騒ぎ始めた。「あれはいったい何だ？」。中学生たちが指差す先には、大きくて怪しげな物体が泳いでいるような影があった。&lt;/p&gt;&lt;p&gt;「謎の巨大生物、目撃」のニュースは、やがて北海道のローカルな話題から全国的な話題へと発展し「ネス湖にネッシーがいるなら、屈斜路湖にはクッシーがいるかもしれない」と新聞やテレビが盛んに報道を始めた。&lt;/p&gt;&lt;p&gt;屈斜路湖の展望場所、美幌峠を有する美幌町は75年に町観光協会副会長だった前川市治朗さんが中心となって「クッシーを守る会」を結成。前川さんは「ネッシーとクッシー」なる唄まで作詞し「ビューティフル・サンデー」を大ヒットさせ、紅白歌合戦にも出場経験がある田中星児さんの歌唱でレコードとして発売された。&lt;/p&gt;&lt;p&gt;屈斜路湖は弟子屈町に位置する湖だが、美幌町は「クッシーを守る会」を結成し、さらに町内のあちらこちらにクッシーに似せたベンチやオブジェを設置する「クッシー百体運動」を展開したので、すっかり「クッシー＝美幌町」のイメージが定着した。&lt;/p&gt;&lt;p&gt;79年にはクッシー効果で美幌町を訪れた観光客が百万人を突破。クッシーの形をした様々なおみやげものも飛ぶように売れ、わずかに数回目撃されただけの謎の巨大生物がもたらした特需には爆発的なものがあった。しかし、80年以降は目撃情報は皆無となり、突如として美幌町に舞い降りたクッシー騒動は徐々に沈静化しいく。&lt;/p&gt;&lt;p&gt;今では「クッシー」を口にする人も少なくなり、町内に残っているクッシーの形をした滑り台が、わずかに当時のなごりを伝えるだけである。&lt;/p&gt;&lt;p&gt;北海道では「クッシー」の他に洞爺湖で「トッシー」の目撃例があり、鹿児島県の池田湖にいるといわれている「イッシー」とあわせて「日本三大水棲獣」と呼ばれることもあるそうだ。（く）&lt;/p&gt;</description>
    <dc:creator>東オホーツク百の話</dc:creator>
    <dc:date>2010-06-07T09:25:00+09:00</dc:date>
  </item>
  <item rdf:about="http://www.scenic-okhotsk.com/100story/340.html">
    <title>世界自然遺産と「もうひとつの知床」</title>
    <link>http://www.scenic-okhotsk.com/100story/340.html</link>
    <description>&lt;p&gt;&lt;img src="/userImages/100story_07-50.jpg" alt=" " width="450" height="297" /&gt;&lt;/p&gt;&lt;p&gt;＜離農後の開拓地＞&lt;/p&gt;&lt;p&gt;知床が世界自然遺産になった。&lt;/p&gt;&lt;p&gt;知床の自然、生物が貴重なものとして取り上げられ、多くの研究者、観察者、観光客でにぎわっている。知床奥地に入ることは禁じられているため、わずかに知床五湖までが、知床半島の現地として人気を集めている。野生のクマと遭遇する機会もあるという。&lt;/p&gt;&lt;p&gt;その野生のクマがいる知床五湖の手前にある植林地付近が、知床開拓地として農民が生活していた場所だったこと、特に開拓の歴史はあまり知られていない。&lt;/p&gt;&lt;p&gt;知床岩尾別開拓は三期に分けられる。&lt;/p&gt;&lt;ol&gt;&lt;li&gt;大正時代の開拓――1914年（大正3）、7戸が入植したのを初めとして60戸が入植したが、その後大正13年にほとんどが離農する。 &lt;/li&gt;&lt;li&gt;1938年（昭和13）38戸が入植するが大半が離農する。 &lt;/li&gt;&lt;li&gt;1945年（昭和20）から戦後入植が始まり65戸となる。昭和41年全戸集団離農をする。&lt;/li&gt;&lt;/ol&gt;&lt;p&gt;この3回にわたる入植が、同じ土地であり離農地であったというのは驚きである。きびしい寒さと強風という気象条件、市街地への交通困難、岩石が多い酸性土壌という農業不適な土地へ、開拓者を入地させたのは国策であった。&lt;/p&gt;&lt;p&gt;北海道開拓の増進、戦後の食糧難という事情はあるものの、営農困難な地域に開拓者を入れるという国や道の方策は、無謀なものであったと考えられる。&lt;/p&gt;&lt;p&gt;次はＹ子さんの話。&lt;/p&gt;開拓者たちは斜里から船でウトロに来て、荷物を背負いこどもを背負って山道をはい上がり、着手小屋に到着した。 &lt;p&gt;冬はテントをフトンの上にかぶせて寝ても3寸（9センチ）も雪が積もった。羅臼岳、硫黄山おろしの強風のため、イナキビ、ソバをまいても、実った穂が風に飛ばされ地面がソバの実で赤くなった。わき水もなく遠いところからてんびんで運んできた。&lt;/p&gt;&lt;p&gt;夏は水がかれ秋は落ち葉で水が出なくなり、冬は凍ってしまう有様だった。&lt;/p&gt;&lt;p&gt;川から水を引いて道ばたの水槽にため、ひしゃくで汲んで使った。川の水から赤痢が集団発生して、罹病した3歳の女の子を背負って、ウトロの診療所まで10数キロの山道を歩いた。&lt;/p&gt;&lt;p&gt;このような話が山ほど元開拓者から語られている。昭和30年後半から離農が始まり昭和41年残っていた18戸が集団離農して、岩尾別開拓は終焉した。&lt;/p&gt;&lt;p&gt;その後開拓地跡はナショナルトラスト運動地として買い上げられ、自然に戻そうと植樹などが行われている。&lt;/p&gt;&lt;p&gt;世界自然遺産登録の光の陰に、岩尾別開拓の歴史があることを記録に残したいと、私は「もうひとつの知床」（北海道新聞社）を刊行した。知床半島は無垢の自然でも、秘境でもなく繰り返された開拓の歴史を持っている。自然と人間の歴史は分かちがたく存在している。これを欠落させてはならないのではないか。世界自然遺産の根底を、そう考えている。（き）&lt;/p&gt;</description>
    <dc:creator>東オホーツク百の話</dc:creator>
    <dc:date>2010-05-31T10:40:00+09:00</dc:date>
  </item>
  <item rdf:about="http://www.scenic-okhotsk.com/100story/308.html">
    <title>清里の空気感を伝えるじゃがいも焼酎</title>
    <link>http://www.scenic-okhotsk.com/100story/308.html</link>
    <description>&lt;p&gt;&lt;img src="/userImages/100story_06_05_01.JPG" alt=" " width="450" height="338" /&gt;&lt;/p&gt;&lt;p&gt;＜絶好のロケーションの中に建つ焼酎工場、ここでじゃがいも焼酎は作られる＞&lt;/p&gt;&lt;p&gt;北海道の短い夏が終わり、黄金色に色づいた麦畑が収穫の秋を告げる8月下旬。清里町にある焼酎工場（パパスシャトー）にはとれたてのの新鮮なじゃがいも運び込まれ、焼酎の醸造が始まる。&lt;/p&gt;&lt;p&gt;清里の特産品であるじゃがいも焼酎の原料に使われるのは、デンプンの含有量が多いコナフブキという種類のじゃがいもである。食用にされる男爵やメークインのデンプン含有率が14～15パーセントなのに対して、コナフブキは20パーセント以上。このデンプンの含有率の多さがうまい焼酎作りには欠かせないのだ。&lt;/p&gt;&lt;p&gt;焼酎の醸造は麹（こうじ）作りから始まる。蒸した地元産の二条大麦に麹菌を加え、数日ねかせると麹が出来上がる。ここに水と酵母を加え、発酵させると一次もろみとなる。ここに大きな釜で蒸し上げたじゃがいもを粉砕し、水と共に加えたものが二次もろみ。ここでアルコール発酵が始まる。じゃがいもや大麦に含まれるデンプン質が麹菌によって糖化され、ブドウ糖が酵母の働きによってアルコールへと変化していくのだ。そして、10日間ほど熟成された後、二次もろみは蒸留されて、アルコール分40～44度の原酒が出来上がる。&lt;/p&gt;&lt;p&gt;じゃがいも焼酎の醸造は11月いっぱいまで続けられ、2005年は160キロリットルの焼酎が製造された。これは720ミリリットル入りのビンに換算すると22万本分になり、85回も行われた仕込みでじゃがいも110トン、大麦90トンが原材料として使われた。&lt;/p&gt;&lt;p&gt;工場では取引先からの要望によって作られたオリジナル焼酎、ビンの容量の違いなどを含めると約40種類の焼酎が製造されているが、中でも人気が高いのは一年間熟成したアルコール分25度の「浪漫倶楽部」と、原酒がそのまま味わえるアルコール度44度の「北緯44度」である。&lt;/p&gt;&lt;p&gt;このところの焼酎ブームの影響で、じゃがいも焼酎の製造量も数年前と比べると倍近くになったという。しかし、製造量が増えてじゃがいも、大麦、水と地元産の原料にこだわる清里町焼酎醸造事業所の焼酎作りに対するポリシーは変わらない。&lt;/p&gt;&lt;p&gt;封を開けると、豊かに広がる焼酎の香り。それは焼酎の原料を生み出した北の大地の香りでもある。じゃがいも焼酎のビンの中には清里町の空気感が封じ込められている。&lt;/p&gt;&lt;p&gt;清里焼酎工場のHPは　&amp;rarr;　&lt;a href="http://www.kiyosato-shochu.com/index.html" target="_blank"&gt;こちら&lt;/a&gt;　（ネットでじゃがいも焼酎の販売もしています。）&lt;/p&gt;&lt;img src="/userImages/100story_06_05_02.JPG" alt=" " width="450" height="338" /&gt; &lt;p&gt;＜清里焼酎のラインナップ＞ &lt;/p&gt;</description>
    <dc:creator>東オホーツク百の話</dc:creator>
    <dc:date>2010-05-24T10:54:00+09:00</dc:date>
  </item>
</rdf:RDF>
