2007年04月15日

第一幾品川橋梁(越川橋梁) 斜里町 元国鉄根北線工事線跡

第一幾品川橋梁(越川橋梁)
 北海道のあゆみは、日本の歴史の中でも特有です。社会科の教員時代には、北海道の歴史を特別の取り上げて中学生や高校生と学びあったことが何度もあります。今、北海道のオホーツクに在住するようになり、改めて北海道の歴史の流れの中で、オホーツクのあゆみも考えていきたいです。

 特に、現在のオホーツクには歴史的な遺産が各地に保存されているものが少なくありません。自然環境豊かなオホーツクにあって、単なる自然的な世界だけでなく、それが日本や世界との歴史の中でどう関連し、どういう世界を人々が創ってきたかについても思いをめぐらしていければと思います。

 今回取り上げるのは国道244号線(網走-根室)の斜里町に位置する「第一幾品川橋梁(越川橋梁)」です。ここは、この国道の根北峠に近い越川温泉のすぐ近くにあります。道路を走っているとこの橋梁に出会います。

 第二次大戦以前、北海道では開拓を目的とした鉄道建設の動きが各地でありました。オホーツクでは、釧網線、標津線、根北線などの計画があり、建設の実行に移っていった路線があります。日本軍は、ソビエトとの軍事的な防衛線という判断から、斜里から根室海峡に抜ける鉄道建設を急いでいました。根北峠を抜ける鉄道工事は難関を極めていました。この工事の主体となったのは、日本の各地の炭鉱等でも動員されて過酷な労働を課された朝鮮半島や中国から強制連行で連れてこられた人たちでした。当時の日本軍の鉄道工事は各地の調査研究で明らかになっているように、長時間の重労働で食物も十分に与えられない状況で行われました。その結果、事故は日常茶飯事であっただけでなく、過労や事故で亡くなっていった強制連行された人たちは、建設のした柱などに人柱として埋められていったという事実が存在します。この「越川橋梁」の例外ではないと言われています。
 
 大戦後、軍事的な目的を失ったこの路線は、地元の要望で越川まで国鉄根北線として営業をスタートさせることになりました。しかし、この越川橋梁を含んだ区間の路線の延長工事は凍結されてしまいました。また、越川までの路線も赤字が続き、1970年には、斜里-越川間も廃止されてしまいました。ついに、この立派な越川橋梁は一度も鉄道が走ることなく廃止されるという運命をたどったわけです。
 
 鉄道の廃止にともなって奥の施設は取り壊されるというのが定番ですが、設置場所が山奥という関係でその後も放置されました。国鉄がJRになった際に、取り壊しの動きがありましたが、斜里町が保存の意向を示し、現在もこの場所に越川橋梁が残ることになりました。国道244号線の建設にあたり、中央の橋梁が撤去されましたが、その他は残っています。補修等は行われていないそうで、「自然の状態」とのことです。
 
関連情報:北海道文化遺産データーベース:旧国鉄根北線越川橋梁
所在地:北海道斜里郡斜里町字越川245番8

2007年04月15日

もうすぐ通行止めも解除

岩尾別の遮断機
 
 この写真は知床五湖に向かう道道の岩尾別ユースホテルの先にある遮断機(通行止め)の場所です。北海道で遮断機というとこの通行止めの遮断機をあらわしますが、本州では遮断機といえば踏切です。以前、カーナビのデータを取得する仕事の委託を受けてあちこちの交差点の情報を収集していました。その情報の一つにこの遮断機を掲載しました。写真には遮断機の手前の「遮断機ありといく看板の文字が写っていたのですが、このデータを送ってチェックしたカーナビのデータをチェックする会社の担当者より、「遮断機といえば踏切なので、証拠となる踏切の写真を提出せよ」という返信がきました。何度説明してもこの通行止めの遮断機の写真を送っても、これは踏切ではないというチェックばかり・・・。らちがあきませんでした。
 
 さて、こうした雪のための通行止めの光景は、意外と面白い光景だと僕は思っています。一般的には通行止めだからそこに行ってもこうした通行止めの事実がつきつけられるわけで、行っても意味がないのはわかっていますが、この通行止めの光景を撮影することが自体が実は面白くなってしまいました。今年こうした通行止めの写真はかなりの枚数を撮影しました。交通が遮断されることによって、その周辺がどういう状況になるか、そしてこの通行止めが解除されることによってどういう現象がおきるかというのは意外と興味深いことだと思う次第です。
 
 だから、もしこの通行止めのところに何か新しいことがあれば、きっと多くの人がさらに何かを求めてここにやって来るのではないかと思う次第です。過去に片道60km、往復120km走って、通行止めの状況の写真を撮影しに行ったことがあります。お馬鹿な話かもしれませんが、それでもそこに行った事実は大事にしなければと・・・。
 
 ここの通行止め今月末には解除されるはずです。またここから先の東オホーツクの新しいドラマが始まると思うとわくわくしませんか?